ラクシャサ
地上に留まったアベルの末裔たちは神々の子らであり、神々とつながっていました。しかし、自らが地上的なものに関わらない
ように、注意しなければなりませんでした。そのために神々にみずからを捧げた人にとって、ひとつの原則が始まりました。禁欲 という原則です。地上に自らを捧げた人たちと結び付くのは、罪となります。「神々の子らがカインの系統からでた娘たちを好きに なったとき」、それは罪になるのです。
そこで、一般に公開された旧約聖書では一度も言及されたことがなく、ただ暗示されていたにすぎない一族が生まれました。こ
の一族は、肉眼では知覚できません。オカルトの用語で、それは「ラクシャサ」と名づけられ、インド人の「アシュラ」に似ていま す。それは悪魔的な存在たちです。それらは本当に存在していて、人間を誘惑したので、人類は堕落してしまったのです。人間 の娘たちと神々の子らとのこの「かりそめの恋」はひとつの種族を生み出しました。その種族は、特にアトランティス期の第四亜 人類期のツラン人を誘惑し、人類を滅亡に導きました。しかし、人類のある部分は、新しい世界に救われました。ノアの洪水は、 アトランティスを全滅させた洪水です。ラクシャサたちに誘惑された人間は、次第に消えていきました。
今述べたことは、皆さんには非常に奇妙に思われるでしょう。しかしそれを知ることは、きわめて大切なことです。あまりの重要さ
故に、一般人には長い間、秘密にされていたくらいです。今でもほとんどの人の理解を超えていますが、しかし、それは真実な のです。断言できるのは、どのオカルティストも、アカシャ年代記を確信している、ということです。
ラクシャサたちは、かつて活動的かつ積極的に、人間の誘惑者として、存在していました。彼らは、ナザレのイエスの中にキリス
トが受肉し、彼の肉体の中に仏陀の原理が現れた時まで、人間の欲望に働きかけていました。皆さんが信じても、信じなくて も、これには宇宙的な、地上界を超えた意味があるのです。
聖書には無駄な表現がありません。キリストは地獄の手前のところまで降りたのです。そこにはもはや人間は存在していなかっ
たので、キリストは霊的存在者たちに働きかけねばなりませんでした。それによって、ラクシャサ存在たちは麻痺し、無気力の状 態に陥りました。彼らは抑えつけられ、動くことができなくなりました。
このことは、ふたつの方向からの働きかけによって生じました。もしナザレのイエスの中でふたつの本性が、ひとつになっていな
かったら、それは不可能だったでしょう。イエスの中には一方では古代の修行者(チェラ)が働いていました。彼は完全に物質界 に結び付いて、物質界で働くことができ、その力を通してイエスを均衡状態に保つことができました。そしてもう一方では、純粋 な霊存在であるキリスト自身が働いていました。
これはキリスト教の基礎をなしている宇宙的な課題です。当時オカルトの分野において、ある事柄が生じたのです。それは人類
の敵たちの追放です。このことが反キリストの伝説、すなわち反キリストは縛についたが、キリスト原則が彼に対して働かなくな ったら、ふたたび出現するだろう、という伝説に余韻を響かせています。
中世のすべてのオカルティズムは、ラクシャサの作用が生じないように努めました。高次の世界を見ることのできる人は、19世
紀の終わり、19世紀から20世紀の転換期にそれが起こりうることを、すでにかなり以前から予見していました。見晴らしのよい 塔で仕事をし、またペストの流行の時に、救助の働きをしたノストラダムスは、未来を予言することができました。彼は多くの予 言的な詩句を記しました。その中の1870年の戦争や、マリー・アントワネットについてのいくつかの事柄は、すでに実現されてい ます。ノストラダムスのその『百詩集』の中には、以下のことも記されています。「19世紀が終わる頃、アジアのヘルメス兄弟団 のひとつが現れて、人類はふたたび統合されるだろう」(10.75)。
神智学協会は、このノストラダムスの予言の成就にほかなりません。ラクシャサに対抗することと根源的な秘儀を再び打ち立て
ることが神智学協会の課題です。P36-P39)
カリオストロ伯爵とサン・ジェルマン伯爵とフリーメーソン
フリーメーソンのさまざまな系統と特徴について、ほんの概略ですが、お話しておく必要があります。まず、あらゆる高位メーソン
の源にいる、ある人物のことを考えなければなりません。彼はさまざまな名で呼ばれ、また非常に誤解されてきました。とりわけ 19世紀の歴史家たちに誤解されています。オカルティストが、生涯どんな困難な状況に陥るのか、彼らにはまったくわからない からです。その人物とは、わずかな人にだけ認められていた、悪名高いカリオストロのことです。高次の秘儀に参入したオカルテ ィストだけが、いわゆるカリオストロ伯爵のうちに秘められた個性、その真実の姿を知っていました。彼はロンドンで、フリーメーソ ンを新しい次元に引き上げようと試みました。というのは、フリーメーソンは18世紀の終わりには、私が以前述べたようなところに まで落ち込んでしまっていたからです。ロンドンでは、そのときうまくいきませんでした。彼は次にロシアで、そしてハーグでも同 じことを試みましたが、どこでも、ある特定の理由から、うまくいきませんでした。
しかしリヨンでは、そこに住んでいたフリーメーソン員たちと共に、オカルト的な「フイラレート・ロッジ」を設立することに成功しまし
た。そのロッジは「勝利する叡智」ロッジと呼ばれました。ロッジの目的はカリオストロによって告知されましたが、それについて 現在読むことができるものは、何もわかっていない人びとによって書かれたものだけです。ですから、暗示的なことが言えるだけ です。
カリオストロには二つのことが問題でした。一つは、いわゆる賢者の石を合成することであり、二つ目は、神秘の五角形、神秘の
五芒星形の意味を知ることでした。私はここで皆さんに、この二つの事柄が持つ意味を、ただ示唆することしかできません。人は 嘲笑するかもしれませんが、これは単なる象徴ではなく、事実に基づいたものなのです。
賢者の石の目的は、人間の寿命を5527歳まで延ばすことである、とカリオストロは述べました。これは無神論者には馬鹿げたこ
とに思えるでしょう。しかし特別の修行によって、肉体によらずに生きることを学ぶと、本当に生命を永遠に延長することができる のです。ただ、奥義に達した人は通常の意味での死に遭遇しない、と考える人は間違った想像をしています。また、奥義に達し た人は煉瓦に当たらないし、当たっても死なない、と考えるのも間違いです。もちろん奥義に達した人なら、自分でそうしようとし たときにしか、そういうことは起きないでしょうけれども。ここでは肉体的な死が問題なのではありません。次のことが問題なので す。
賢者の石を認識して、それを取り出すことに習熟した人の肉体的な死は、彼にとって表面的な出来事にすぎません。他の人にと
って、死は、人生の大きな節目を意味する現実の出来事です。しかし、カリオストロが弟子たちに望んだような仕方で、賢者の石 を使うことを心得ている人にとっては、死はただの見せかけの出来事にすぎません。死は人生に、特別重要な節目というものを 決して作りません。奥義に達した人を見守っている人びとにとってのみ、死はそこに存在しています。そしてその人びとが、彼は 死んだ、と言うのです。彼自身は、しかし実際にはまったく死んでいません。もっと正確に言うと、彼は決して肉体によって生きて いるのではないのです。つまり通常、死の瞬間に肉体に突然生じるあらゆる経過を、生きている間に徐々に生じさせるのです。 死ぬ時に起こるはずのすべての経過を、彼の肉体はすでにやり終えています。肉体なしで生きることをとうに身につけたので、 彼にはもう死は生じえません。レインコートを脱ぐように肉体を脱ぎ捨て、新しいレインコートを着るように、新しい肉体を身にまと います。
これで、少しおわかりになったでしょう。肉体的な死を意味のないものにする賢者の石が、カリオストロの教えのひとつです。
二つ目の問題は五芒星形の認識でした。これは人間の五つの体を、それぞれ区別する能力です。誰かが、肉体、エーテル体、
アストラル体、カマ・マナス体、原因体、と言うとしたら、それはただの言葉にすぎないか、せいぜいは抽象的な概念です。それ だけでは、まだ何も始まりません。今日生きている人間は、肉体のことを、通常はほとんど知りません。五芒星形を知って初め て、五つの体のことがわかります。肉体を客体として持つとき初めて、肉体を認識できるのであって、肉体の中にいる間は、肉 体を認識できません。五つの体が客体になったということが、そのような修行をやり終えた人間と、普通の人間とを区別します。 普通の人も、この五つの体の中で生きています。しかし彼はその中に存在しており、そこから出て、この体を外から観ることはで きません。せいぜい、自分の下半身を眼で見下ろすか、または鏡で見るか、できるだけです。カリオストロの弟子たちが、その方 法を遵守していたら、薔薇十字会員が至った学堂に到達するはずでした。薔薇十字会員の目的も彼らと同じであり、結局は皆 一つの学堂に属していたのです。それは、五つの体が単なる概念に留まらずに、現実的なものになるように導いた、ヨーロッパ の奥義に達した偉人たち学堂でした。この二つ目の認識は、「五芒星形」と「道徳的な再生」と呼ばれています。
私は、カリオストロの弟子たちがこれをやり遂げなかった、と言おうとしているのではありません。全体として、彼らはアストラル
体を理解するに至りました。カリオストロは、アストラル体の見方を教えることに、非常に長けていたのです。破局に襲われるずっ と前に、彼はリヨンの学堂以外にも、パリ、ベルギー、ペテルスブルクその他ヨーロッパの二、三箇所に、学堂を設けることに成 功しました。後年、それらの学堂出身者のうち少なくとも何人かは、高位メーソンの18、19、20位まで達した人びとに、基本的な 認識を与えることができました。ともかくカリオストロ伯爵は、ローマの牢獄で生涯を終える前に、ヨーロッパのオカルト・メーソン に重要な影響を及ぼしたのです。世間は、カリオストロに対して、本当は何一つ判断を下すべきではなかったのです。カリオスト ロについて話すのは、一般的に言って、アフリカのホッテントットが高架鉄道について話すようなものであって、カリオストロの一 見非道徳的な行為が、世界の出来事とどのように関連しているのか、他人には洞察ができなかったのです。そのことを以前にも 私は述べたことがあります。
フランス革命はオカルティストたちの秘密の会合から生じたのであり、その流れを遡ると、奥義に達した人たちの学堂にまで至る
だろう、と以前申し上げました。
メーベル・コリンンズの小説『フリッタ』を理解するのは困難かもしれません。彼女は、ある奥義に達した人が、秘密の場所で世
界のチェス盤を前に、どのように駒を動かし、大陸のいわばカルマを、小さな単純な地図の上でどのように決めたのかをグロテス クな仕方で描きました。しかしその描き方を、そのまま真実であると言うわけにはいきません。『フリッタ』で述べられていること は歪められた模像であり、実際はもっと壮大な仕方で事が運ばれています。
フランス革命は、実際こうした事情の中から生じました。よく知られているのは、ダデマール伯爵夫人が書いた本に載っている話
です。フランス革命が勃発する前に、サン・ジェルマン伯爵が、マリー・アントワネットの侍女であるダデマール伯爵夫人を訪ねま した。彼は女王に願い出て、王に謁見しようとしたのです。しかしルイ16世の大臣が、サン・ジェルマン伯爵に敵対していたの で、彼は王に近づけませんでした。彼は女王に、どんな大きな危険が待ち受けているか、非常に厳しい口調で、かつ詳細に述 べました。しかし残念ながら、彼の警告は重視されませんでした。彼はその時、「風を蒔く者は、つむじ風を刈り取る」と言いまし た。これは真実を踏まえた偉大な言葉です。さらに彼は、この言葉を自分はすでに数千年前に口にし、キリストはそれを繰り返し て言ったのだ、と語りました。この言葉は、第三者には理解できません。
そしてサン・ジェルマン伯爵は正しかったのです。私は実際にあった、二、三の事柄だけを付け加えようと思います。皆さんは、
サン・ジェルマン伯爵について書かれた本でお読みになったと思いますが、彼は1784年に、もっとも高位に昇進したドイツのフリ ーメーソン員のひとり、ヘッセンの領主の宮廷で亡くなりました。彼はサン・ジェルマン伯爵が死ぬまで面倒を見ていました。しか しダデマール伯爵夫人は回想録の中で、1784年より大分年月が経ってから彼が現れ、そのずっと後まで合わせて6回も彼に会 ったと述べています。実際、彼は1790年、ウィーンで数人の薔薇十字会員の前に現れました。そしてそこで語ったことも真実で した。彼は、自分が85年間東洋に引きこもるであろう、そして85年後にふたたびヨーロッパで活動するであろう、と言ったので す。85年後の1875年、神智学協会が設立された年にあたります。こうした事柄はすべて、ある仕方で関連し合っているのです。
ヘッセンの領主が設立した学堂でも、賢者の石と五芒星形の認識という、二つの事柄が重要でした。彼によって当時設立され
たフリーメーソンは、いくらか弱まりながら、今も存続しています。今私がお話したこのフリーメーソン全体は、エジプト儀礼のメー ソン、メンフィス・ミスライム儀礼のメーソンと呼ばれています。この儀礼を成立させたのはミスライム王です。彼は東方のアッシリ アから移ってきて、エジプトを征服した後で、エジプトの秘儀に参入しました。このことはなお古アトランティスに由来する秘密で す。そのときから伝統はずっと続いています。新しいフリーメーソンは、当時エジプトで設立されたものの継続にすぎません。 (P108-P112)
新しい形式の帝王術
フリーメーソンには、太古の象徴があります。いわゆるT(タウ)文字です。
このT(タウ)文字は、フリーメーソンの中では、大きな意味を持っています。それはもともと上部を取り去った十字架に他なりませ
ん。元来十字架には、鉱物界が省かれています。人間がすでにそれに手を入れているからです。人は植物界に働きかけて、上 方に向かう十字架を得ます。大地からも魂からも地上を支配する力を得ようと努めるものが、メーソンの未来の象徴なのです。
メーソンについての先回の私の講義を聴いた方は、ヒラム・アビフについてのフリーメーソンの伝説のことを憶えているでしょう。
彼は、ある決定的瞬間に、T文字を表してみせました。シバの女王は、もう一度神殿建設に従事する労働者たちを呼び集めるよ うに望みました。ソロモンの呼びかけでは、社会共同体の中でともに作業する人びとが現れませんでした。ヒラム・アビフが掲げ たT文字によって、あらゆる方向から人びとが現れました。このT文字は、全く新しい力を象徴しています。その力は自由にし、新 しい自然力を呼び起こすのです。
私が先回の終わりに申し上げたことを、もう一度取り上げさせてください。私は、生命なき自然に通暁する結果が何なのかをお
話ししました。空想を豊かにしなくても、ひとつの例でなぜそれが重要なのか理解できるでしょう。無線電信は遠方の発信所か ら受信所に働きます。人が欲する時に、機械を動かして、遠距離に作動するようにし、それで意思を通じさせることができます。 この無線電信の場合に作用するのと似た力が、未来の人間には、電信機なしでも自由に使えるようになるでしょう。また、その 力で、破壊者の居場所を発見されずに、遠方に大きな破滅を引き起こすことも可能になるでしょう。もしこの進歩が最高点にまで 達したら、遂に進歩が逆転するところまで来るでしょう。
T文字によって表されているものは、衝動力です。それは、無私の愛の力によってのみ動かされます。その力で機械を動かすこ
ともできるでしょうが、利己的な人間がその力を使用したら、機械が止まってしまうでしょう。
皆さんは多分、モーターを設計したキリーをご存じでしょう。そのモーターは、彼が側にいる時だけ動きました。彼は、それでもっ
て人びとを騙したのではありません。彼は自分の中に、あの衝動力をもっていたのです。その力は魂から生じますが、機械を動 かすことができるのです。道徳的でしかありえない衝動力こそが、未来の理念です。それは、文化が自分では逆転できないと き、文化に植え付けられるべき最も重要な力なのです。機械的なものと道徳的なものは、互いに浸透し合わなければなりませ ん。なぜなら道徳的なものがない機械的なものは、なにものでもないからです。今日の私たちは、機械と道徳のこの境界線のぎ りぎりの所に立っています。水や水蒸気だけではなく、未来においては霊的な力や霊的な道徳が機械を動かすでしょう。この霊 的な力は、T文字によって象徴化され、すでに聖杯の姿によって詩的に暗示されました。自然が任意で人間に与えたものをただ 利用するだけではなく、人間が自然を形成し、改造して、生命なきものの建築師になったのと同じように、やがては生命あるもの の建築師にもなるでしょう。(P294-P295)
(関連ページ) 職業の未来とカルマ-機械の動かし方
近代の民主主義思想とフリーメーソン
すでに述べたように、近代フリーメーソンはイギリスにおいて、もちろんそれまでの伝統をふまえた上で、18世紀初頭にはじめて
設立されました。以来、大英帝国内ではなく、イギリス王国内でのフリーメーソンは、非常に尊敬すべき在り方を続けてきまし た。けれども、他の多くの地域でのフリーメーソンは、主として、またもっぱら、政治的な利害打算の中だけで動いているのです。 そのような政治的な利害打算をもっとも顕著にあらわしているのは、フランスの大東社(グラントリアン)ですが、フランス以外の 大東社にもこのことは多かれ少なかれ当てはまります。
イギリス人は言うかもしれません。「他の諸国において、オカルト的な背景をもつフリーメーソン結社が政治的な傾向をもっている
からといって、われわれに何のかかわりがあるというのか」。しかしさまざまな事実を相互に関連づけてみると、パリにおける最 初の大東社ロッジは、フランス人ではなく、イギリス人の手によって創設され、イギリス人がフランス人をそこへ加入させたのだ、 ということがわかります。それは1725年のことでした。1729年には、この大東社の承認の下に、最初のロッジの一つが同じくパ リに創られました。次いで、同じくイギリス人の手で、1729年ジブラルタルに、1728年マドリッドに、1736年リスボンに、1735年フ ィレンツェに、1731年モスクワに、1726年ストックホルムに、1735年ジュネーブに、1739年ローザンヌに、1737年ハンブルクに創 られました。こう述べていくと、きりがなくなります。私が言いたいのは、たとえイギリス王国の場合とは違った性格をもっていると しても、イギリス人による同じネットワークの一環として、これらのロッジが創られ、特定のオカルト的=政治的な衝動のための 外的な道具にされている、ということです。
もしもこの政治的衝動の深い根拠を問おうとするのなら、近世史をもう少し広く展望する必要があります。この衝動は17世紀以
来----すでに16世紀から----準備されて、民主化運動となって普及していきました。ある国ではより速く、別の国ではよりゆっ くりと、少数の者の手から権力が取り上げられ、大衆の手に委ねられるようになりました。
私は政治的な立場から申し上げているのではありません。ですから、民主主義を擁護するつもりで語っているのでもありませ
ん。ただ事実だけを取り上げるなら、この民主化の衝動は、近世史を通じて、加速度的に、テンポを速めて普及していきました。 けれどもその際、もうひとつの流れも、それと一緒に形成されたのです。複数の流れが現れているときに、その中の一つだけを 取り上げて考察すると、判断を誤ってしまいます。
ひとつの流れが世界中に広がっていくとき、常にもう一方の流れがあって、はじめの流れを補完しているのです。歴史の上に緑
の流れと赤い流れとが並んで存在するとき、人びとは通常、その一方の流れだけを見るように、暗示にかけられているのです。 にわとりの口ばしで地面を引けば、そのにわとりは線に沿って歩きます。そのように人びとは、特に大学の歴史研究者は、一方 の側だけに寄り添って歩いて、歴史の歩み全体を洞察する余裕を失っているのです。
民主化の流れの背後に、さまざまな結社の、特にフリーメーソン結社の、オカルト的な力を利用しようとする流れが見え隠れして
いるのです。オカルト的な力を利用しようとする動機は決して精神的であるとは言えないのに、一見精神的なふりをしている貴族 主義が、フランス革命で大きな役割を演じたあの民主主義と、手に手をとって発展してきたのです。ロッジの貴族主義がひそか に出現したのです。私たちが現代人にふさわしく、社会に参加し、社会の仕組みに通じたいと思うのなら、民主主義の進歩につ いてのきまり文句に目を眩まされてはなりません。ロッジの儀礼とその暗示的な力とによって、支配力を少数者だけのものにし ておこうとする働きに、眼をしっかりと向けなければなりません。
西洋近代の世界は、ロッジの支配力から解放されたことが一度もなかったのです。常にロッジの影響が強力に作用していまし
た。人びとの考え方を一定の方向へ向けるにはどうしたらいいのか、ロッジの人びとはよく心得ています。今日はそのようなロッ ジのネットワークの一つひとつの結び目のことを述べたにすぎませんでしたが、このようなネットワークはすでに出来上がってい ます。ですから、自分の好む方向へ社会をもっていこうと思ったら、ただテーブルのボタンを押しさえいいような体制が出来上が っているのです。[1917年1月8日の講義より](P428-P430) |