神智学の門前にて




ヤハウェあるいはエホヴァの意味

ヤハウェあるいはエホヴァというのは、「わたし」あるいは「わたしは存在する」という意味である。魂がみずからに与える名のな
かで、魂のなかの神は語りはじめるのである。(P17)


降霊会に現れる第一のもの

人間が行ったことすべては、たとえ歴史の本に書かれなくとも、神界の境にあるアーカーシャ年代記という不滅の歴史書に書き
込まれている。意識のある存在によって世界に引き起こされたことすべてを、この境の領域で経験できる。

意識のある存在が体験したことは、アーカーシャ年代記に書きとめられる。秘儀参入者はこのようにして、人類の過去のすべて
を読み取ることができる。しかし、まずどのようにして読み取るかを学ばねばならない。アーカーシャ(虚空)は生命的なもので、
アーカーシャ像は混乱した言葉を語る。シーザーのアーカーシャ像を、シーザー自身と混同してはならない。シーザー自身はもう
再受肉しているかもしれない。外的な手段によってアーカーシャ年代記に近づくと、そのような混同をしやすい。そのような混同
は往往にして、降霊会で生じるのである。心霊論者は、亡くなった人を見た、と信じる。しかし、それは死者のアーカーシャ像に
すぎないのである。たとえば、ゲーテのアーカーシャ像が、1796年に活動したときの姿で現れることがある。神秘学に通じてい
ない者は、このアーカーシャ像をゲーテ自身と混同する。このアーカーシャ像は、質問に答えることができる。それも、昔答えたこ
とを答えるだけではなく、昔は答えなかった、まったく新しい質問にも答える。答えを繰り返すのではなく、当時ゲーテが答えた
であろうように答えるのである。それどころか、このゲーテのアーカーシャ像は、当時のゲーテのスタイルとセンスをもって、詩を
作ることもできる。アーカーシャ像は、まさに生きた構成体なのである。

事実はこのように、驚くべきものである。しかし、事実なのである。(P32-P34)


降霊会に現れる第二のもの

自我によって自分に働きかければ働きかけるほど、自我の中心である青味がかった球から輝きが発する。その輝きは、アストラ
ル体を支配する力を表している。だから、「人間は二つのアストラル体を持っている。ひとつは、動物的な欲望を持ったアストラル
体。もうひとつは、人間みずからが働きかけたアストラル体」ということができる。

欲界期を通過すると、人間はアストラル体の高貴な部分を、低次の部分から取り出すことができるようになる。低次の部分は取
り残され、人間がみずから作り上げた部分を取り出すのである。野蛮な人、洗練されていない人の場合、アストラル体の大部分
は低次の部分として、取り残される。教養のある人の場合は、取り残される低次の部分は少なくなる。たとえば、アッシジのフラ
ンチェスコのような人が死ぬと、アストラル体のごくわずかの部分しか取り残されず、自分の働きかけによって高貴なものになっ
た高次のアストラル体が取り出される。取り残されたアストラル体は、第三の死体になる。人間が高貴なものにすることができな
かった低次の衝動、本能である。この死体は、アストラル空間のあらゆるところを漂い、多くの有害な影響を与える。

これが、降霊会で現れる第二のものである。このアストラル死体は、しばしば長期間とどまり、霊媒をとおして語る。そして、人々
はしばしば、このアストラル死体が死者その人だと思い込む。そうではない。それはたんなるアストラル死体なのである。このア
ストラル死体のなかに、低次の衝動と習慣がふくまれている。このアストラル死体は、質問に答えることができるし、消息を伝え
ることもできる。また、理性的に語ることもできる。こうして、多くの混乱が生じる。

この第三の死体、アストラル死体はしだいに解消されていく。そして、人間がふたたび地上に受肉するときには、完全に解消さ
れている。たいていの場合はそうである。しかし、例外もある。アストラル死体が消え去るまえに、早くも受肉する場合である。こ
のような人は受肉するときに、前世での不完全さをまだふくんだ自分のアストラル死体を見出して、困難な状態に陥る。(P45-
P47)

霊視者にとって、アストラル界を探求するのは、非常に興味深いことである。たとえば、アストラル死体が漂い、消え去っていくの
が、観察できる。低次の欲望に働きかけた、高度に進化した人間のアストラル体は、早く消え去っていく。自分の性向や激情
を、なるがままにさせておいた低級な人間の場合は、アストラル体はゆっくりと消え去っていく。それどころか、その死者が再受
肉への道をたどっているときに、まだその人のアストラル死体が消え去っていないということもある。その場合は、困難な運命が
待っている。特別の事情によって、すみやかに再受肉することになり、アストラル死体がまだ解消していないということもある。そ
のような場合、アストラル死体はその人に強く引きつけられ、新しいアストラル体のなかに入り込む。その人は新しいアストラル
体を形成したのだが、古いアストラル体が新しいアストラル体に結合し、一生のあいだ二つのアストラル体を引きずっていくこと
になる。古いアストラル体は、悪夢や幻想のなかで、第二の自我として現れて、その人を取り囲み、苦しめる。これは、まちがっ
た「境域の守護者」である。この古いアストラル体は、ほかの構成要素と強く結ばれていないので、容易にその人から抜け出
て、ドッペルゲンガーとして現れる。(P64)


宇宙は螺旋を描く

プトレマイオスの体系はアストラル界に通用し、コペルニクスの体系は物質界に通用するのである。将来は、まったくちがった宇
宙像が現れるだろう。通常、コペルニクスは、地球は地軸を中心に回転しているということと、地球は太陽のまわりを回っている
という二つのことを教えた、といわれている。彼がもうひとつ別の動き、全体系は渦巻状に絶えず動いているということを教えたこ
とは、注意されていない。この教えは、人類が成熟するときまで、保管されておかれるだろう。コペルニクスは新旧の境に立って
おり、古いものを多分に自分のなかに有していた。

以前は、人間は世界をまったくちがったふうに見ていた。たとえば、コペルニクスは、地球は静止しているという誤謬を打ち砕い
た。彼は、太陽が地球のまわりを回っていると想像するのは誤りだと教えた。ケプラーとガリレオ・ガリレイが、その教えを発展さ
せた。それでも、コペルニクスも、天動説を唱えたプトレマイオスも、どちらも正しいのである。どこから太陽と地球を考察するかと
いう、観点がちがうだけなのである。太陽系を物質界からではなく、アストラル界から見れば、プトレマイオスの体系は正しいの
である。アストラル界から見れば、昔の人々が思っていたように、地球が中心にある。アストラル界では、すべてが逆に見えると
いうことを思い出してもらいたい。プトレマイオスの体系はアストラル界に通用し、コペルニクスの体系は物質界に通用するので
ある。将来は、まったくちがった宇宙像が現れるだろう。(関連ページ) 教育芸術2-宇宙は螺旋を描く  星と人間-コペルニクス


自我の姿

自我も、霊眼には独特の姿に映る。アストラル体を探究すると、すべては、こまかな点にいたるまで、絶えず動いている。自我
は、額のうしろ、鼻根のところに、長く引き伸ばした卵形の青みがかった球のように、とどまっている。教養のある人の場合は、
教養のない人の場合のようには、はっきりと知覚されない。未開民族において、この球はもっともはっきりと知覚される。実際
は、この場所にはなにもないのである。空虚な空間なのである。炎の中心にはなにもないが、まわりの光によって青く見える。
それと同様に、オーラの光がまわりに輝いているので、この暗い、空虚な場所は青く見えるのである。これが自我の外的な表現
である。(P17)


震える子ども

今日、百年前にはほとんど知られていなかった病気が広まっている。知られていないことはなかったとしても、広まってはいなか
った病気である。神経質である。この独特な病気は、十八世紀の唯物論的な世界観の結果である。唯物論的な思考習慣なし
には、神経質はけっして生じなかったであろう。もし、唯物論がまだ何十年もつづくなら、唯物論は民族の健康に破壊的な働き
かけをするだろうということを、秘密の導師は知っている。もし、唯物論的な思考習慣が抑止されないなら、やがて人間は神経質
になるだけではなく、子どもも震えながら生まれてくるようになる。子どもは周囲の世界を感じるだけではなく、どのような周囲の
環境にも苦痛を感じるようになる。とくに、精神病が非常な早さで広まる。狂気の流行病が、何十年か先には現れるだろう。精
神病の流行によって、人類の進化は妨害されようとしている。このような未来の世界像ゆえに、人類の隠れた導師たち、叡智の
マイスターたちは、霊的な叡智を一般の人類に注ぎ込まねばならない必要性に迫られているのである。(P90)


マニ教団

マニ教団は、いますでに、その成員が将来悪を変化させる者になるように教育している。悪い子どもの場合、どこかに善の部分
があり、その善を教育によって発展させていくことができる。この悪の人種には、そのような可能性はない。だから、マニ教教団
の課題は非常に困難なものである。生まれつきまったく悪に変形した者のことを、マニ教教団の成員は今日すでに学んでいる。
この悪を改造すると、まったく特別の善になる。(P100)


神話の描く世界

あらゆる民族の神話や伝説は、すばらしい方法でアストラル界の特徴を述べている。たとえば、岐路に立つヘラクレス伝説を取
り上げてみよう。あるとき、ヘラクレスのまえに二人の女性が現れた。一人は美しく、魅力的だった。彼女はヘラクレスに、快楽と
至福を約束した。もう一人の女性は地味で、まじめな様子だった。この女性は、困難な仕事と自己犠牲を約束する。この二人の
女性は、悪徳と美徳である。この伝説は、ヘラクレスのアストラル体のなかに、彼自身の二つの性質が現れたことを物語ってい
る。一方の性質は彼を悪に駆り立て、もう一方の性質は善に駆り立てる。そして、この二つの性質が鏡像のなかで、二人の女
性の姿として現れたのである。悪徳は美しく、豊満で、魅力的ある。美徳は醜い姿であらわれるのである。(P25)

アストラル界では、どのようなイメージも逆に現れるのである。学者は、そのような伝説は民族精神に由来するものだという。だ
が、それは真実ではない。また、この伝説は偶然にできあがったものではない。偉大な秘儀参入者たちが、自分たちの叡智を
込めてこの伝説を作り、人々に伝えたのである。あらゆる伝説、神話、あらゆる宗教、あらゆる民衆文学は世界の謎を解くのに
役立つものであり、秘儀参入者たちの霊感に由来するものである。(P25-P26)
(関連ページ) 世界史の秘密-神話とは何か


三つの世界

高次の世界の衝動から力を受け取り、人間がどこから来て、どこへ行くのかを知り、わたしたちが不可視の世界の創造物である
ことを知るなら、確かさが得られる。物質界とはべつの二つの世界のことも知る者のみが、可視の世界を正しく理解するのであ
る。

三つの世界がある。

一、物質界(人間の活動の舞台)
二、アストラル界(魂的世界)
三、神界(霊的世界)

これら三つの世界は、空間的にたがいに離れているのではない。物質界の事物が、わたしたちを取り囲んでいる。それらの事
物を、わたしたちは感覚器官によって知覚する。しかし、わたしたちが生きているこの空間のなかに、アストラル界も存在するの
である。わたしたちは物質界に生きている同時に、アストラル界と神界のなかにも生きている。わたしたちがいるところには、どこ
でも三つの世界が併存しているのである。

アストラル界を、わたしたちは死後になって知ることになる。あるいは、秘儀参入者として、いまアストラル界のなかに生きてい
る。アストラル界のためにの感覚が開かれた者は、最初、混乱する。そこに現れるのは、物質界のなにものとも比較できないも
のだからである。多くのことを、まったく新たに学ばねばならない。アストラル界は、一連の特徴によって性格づけられている。混
乱するのは、なによりも、自分のまえに現れる事物すべてが鏡像のように見えることである。地上とはまったくちがったふうに、
事物を見ることに慣れる必要がある。たとえば、数字をうしろからまえへ読む必要がある。3、4、5と数字が並んでいたら、わた
したちは普段は三百四十五と読む。アストラル界では逆に、五百四十三と読まねばならない。すべては鏡像のように、逆にな
る。このことを知るのは、非常に重要なことである。このことは、もっと高次のこと、たとえば道徳的な事柄にも当てはまる。道徳
的な事柄も、鏡のなかのように、逆に見える。このことを、人々は最初はよく理解できない。(P22-P24)

邪悪な黒い姿

今日では、多くの人々が邪悪な黒い姿に囲まれて、脅かされ、不安にさいなまれるのを嘆いている。このような現象に、今日、
多くの人が襲われている。そして、このような現象がなにを意味するのか、まったくわかっていない。多くの場合、その邪悪な黒
い姿は、アストラル体のなかに生きる自分自身の衝動、欲望、熱情なのである。普通の人は、自分の熱情を見ることはない。し
かし、魂と頭脳の特別の過程をとおして、自分の熱情が目に見えるようになる場合がある。その場合も、熱情は鏡像のように現
れる。鏡を見つめて、自分のまわりに対象物を見るように、自分のまわりに自分自身の衝動の鏡像を見るのである。自分から外
に出ていくものすべてが、自分に向かってくるように見える。そのほかの現象として、時間や出来事が逆の方向に流れていく。
(P24-P25)
(関連ページ) いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか-内界が外界になる  精神科学から見た死後の生-アストラル界の
特徴


二弁のチャクラの象徴としての角

わたしたちが眠ると、アストラル体は、物質体とエーテル体から離れていき、わたしたちは意識を持たなくなる。アストラル体が、
疲労した肉体に調和をもたらす仕事に関わっているかぎり、睡眠中の人間は意識を持たない。しかし、死後、アストラル体はも
はやそのような活動をしなくてもよくなる。そして、物質体に関わらなくてもよくなった分だけ、アストラル体のなかに意識が目覚
める。人間が生きているあいだ、アストラル体は、昼間は物質体の力によって曇らされ、夜は物質体の疲労を回復させるために
働かなくてはならない。死後、その力は自由になる。そうすると、アストラル体に、ある器官が発生する。その器官というのは、七
つのチャクラである。鼻根のあたり、眉のあいだのところに、二弁の蓮華のチャクラができる。霊視的な芸術家は、このことを知っ
ており、作品のなかにそのチャクラを象徴的に描いた。ミケランジェロはモーセ像に、二本の角を刻み込んでいる。(P55-P56)


宗教の本義

宗教という言葉は、神性との再結合の探求という意味である。(P134)


賢者の石

現代という唯物論的な時代は、新鮮な空気を健康のしるしにしている。ヨーガ行者は、反対に洞穴に閉じこもり、できるかぎり自
分の空気を呼吸する。窓を開け放つヨーロッパ人とは逆である。ヨーガ行者は、空気をできるだけ汚さないようにすることを学ぶ。
空気を利用し尽くすことを学ぶのである。この秘密は、ヨーロッパの秘密の学院では、つねに知られていた。その秘密は、賢者
の石あるいは哲学者の石の製造と呼ばれてきた。

18世紀から19世紀への転換期に、霊的発展について多くのことが外部に知られた。賢者の石について多くのことが、おおやけ
の書物に書かれた。しかし、それらの本に書かれていることは、出典は確かであっても、著者自身が賢者の石のことをあまり理
解していないことがわかる。1796年、テューリンゲンの新聞に、賢者の石について、つぎのような記事が載った。「賢者の石
は、だれもが見ているものである。賢者の石は、だれでも毎日、ある時間手にしているものである。賢者の石は、いたるところに
見出すことができる。ただ人々は、それが賢者の石であると気づいていないだけなのである」。

「いたるところに賢者の石は見出される」とは、不思議な表現である。しかし、この奇妙な表現は、言葉どおり、真実なのである。

植物は炭酸を受け入れて、炭素を自分のなかに残し、炭素によって身体を築く。人間と動物は植物を食べることによって炭素を
摂取し、呼吸することによって炭酸をふたたび吐き出す。このように、炭素は循環している。将来は、べつの形を取るようになる。
将来、人間は自己をつねに拡大し、いま植物に委ねていることを、自分でできるようにするのである。人間は鉱物界、植物界を
通過していったように、またその道を戻る。人間は植物になるのである。植物存在を自分のなかに受け入れて、すべての経過を
自分のなかでおこなうのである。つまり、人間は炭素を自分のなかにとどめ、意識的に、植物が今日無意識におこなっているよ
うに、炭素から自分の身体を形成する。酸素を自分の器官のなかで用意し、それを炭素と結びつけて炭酸にし、炭素を自分のな
かに貯えるのである。こうすることによって、人間は自分の基礎を、みずから構築することができる。これが、未来の遠大な理念
である。こうなれば、人間はなにも殺さないようになる。

よく知られているように、炭素とダイヤモンドは、おなじ物質である。ダイヤモンドは炭素が結晶し、透明になったものである。だ
から、将来、炭素のせいで人間の身体は黒くなるのだ、というわけではない。人間の身体は透明な、やわらかい炭素からできた
ものになるのである。そのとき、人間は賢者の石を見つける。人間は自分の身体を賢者の石に変化させるのである(P167-
P168)
(関連ページ) 薔薇十字会の神智学-賢者の石  星と人間-錬金術 神殿伝説と黄金伝説-カリオストロ伯爵とサン・ジェルマン
伯爵とフリーメーソン