職業の未来とカルマ
機械の動かし方
ポスト・アトランティスの第四文化期の経過のなかで主に生じたのは、人間がまず外の無機的世界から解放されたことです。無
機的世界を、人間は器具のなかに入れ込みました。人間は、自分が器具のなかに入れ込んだものと再び出会うでしょう。
今日、機械が組み立てられています。今日、機械は外にあるものであり、そのなかに人間的なものはまだ少ししか入っていませ
ん。しかし、いつまでもそうなのではありません。人間と、人間が作り出すものとのあいだに関連がが生じるように、宇宙の歩み
は進みます。この関連はますます密接になります。
たとえば、化学元素を加工して薬を作ります。硫黄と酸素と、その他の元素、水素もっと他の元素から何かが発生するとき、そ
の生産物は個々の元素に由来する作用しか含まない、と今日でも思われています。いまはそれでも大体正しいのですが、宇宙
進化の歩みは別のほうに進みます。
人間の意志と志向のなかに存在する精妙な脈動が、人間が作り出すもののなかに折り込まれていきます。調合した素材を誰
から受け取っても同じではなくなります。
最も外的で冷たい技術の発展さえ、一定の目的に向かっています。今日、技術の発展の未来を予感的に思い描ける人は、「将
来、工場全体が指導者によって個性的に作動するようになる」ということを知っています。志操が工場のなかに入り、それが機
械の働き方に伝わります。私たちの触れるものすべてに、次第に人間の本質の模像が刻印されていきます。
今日の賢い人々には愚かに思えることが実現する時代が来るでしょう。パウロは、「人々が賢いと思うことは、しばしば神のまえ
では愚かだ」と言いました。人間は手の動きをとおして空気の振動を起こし、一定の合図でモーターを動かし、別の合図で調整
するようになるでしょう。
経済の発展によって、外的なパテントなどは完全になくなるでしょう。そのようなものは、私がいま述べたものに取って代わられ
ます。人間の本性と関係しないものは、すべて閉め出されるでしょう。
本当に善良な人間、特別に高い志操の人間には将来何ができるか、一度考えてみてください。そのような人は機械を組み立
て、その機械のために合図を決めることができるでしょう。彼と同じように善良な志操の人々のみが遂行できる合図です。邪悪
な志向の人々は、その合図をしても別の振動を引き起し、機械は動かないでしょう。(P137-P138)
職業人の情動
このことを、人々は今日、すでにいくらか予感しています。一定の音の影響で炎が揺らめくのが見られます。この方向でさらに研
究すれば、私がいま示唆したことに到る道が見出されるでしょう。
昔、金儲けをしようとした錬金術師は何も達成できませんでした。金儲けをする気がなく、神々の栄光と人類の安寧のために秘
跡を行おうとした錬金術師は、同様のプロセスで何かを成し遂げました。
職業・仕事から生じるものは、人間の情動のオーラ、人間が努力して手に入れた喜びをまとっているかぎり、私がいま述べた作
用を受けませんでした。職業・仕事をとおして生じるものが、もはや特別の感激をもって作られなくなる分だけ、人間から流れ出
すものが発動力になることができます。人間は自分の仕事から現れる機械的な世界、自分の仕事に用いる機械的な世界に、も
はや自分の結び付けることができません。
喜ばしい職業・仕事から、自分の人間的な熱を事物に与えることは、将来不可能になるでしょう。その代わりに、事物をより純潔
に世界のなかに存在させることになります。そうなることによって、いま述べた方法で人間から発する力に敏感になるでしょう。
人間の進化にそのような方向性を与えることのできるものは、精神科学によって精神的な力を具体的に認識することから生じま
す。そのようなことが生じるかどうかは、「あらゆる職業・仕事を越え出る」と同時に、「あらゆる仕事に浸透できるもののなかで人
と人が共にいられる」という対極を、世界の多くの人々が見出すかどうかにかかっています。人間の共同生活を築き、あらゆる職
業の人々を結び付けることが精神科学運動です。
職業の発展における純粋に外的な進歩は、人類の絆すべてを解消に導くでしょう。その外的な進歩によって人間はますます理
解しあえなくなり、人間の本性に相応する関係を発展させられなくなるでしょう。人々はますますすれちがうようになり、自分の利
益しか求められなくなり、競争以外の関係を築けなくなるでしょう。そうなってはいけません。そうなると、人類は完全に退廃する
からです。そうならないために、精神科学が広まらねばなりません。(P138-P140)
悪魔的なものの危険
今日、本人は否定しても、多くの人々が手に入れようと無意識に努力しているものを正しく指摘することができます。
今日、「霊的なものについて語るなんて、ばかばかしい。我々は純粋に物質的な科学を、あらゆる領域で発展させる。それが人
類の進化というものだ。それが本当に人類を前進させる。人間が成長して、霊的なものごとについて無駄話をするのをやめれ
ば、地上に楽園ができる」と言う人がたくさんいます。しかし、そうすることによっては、楽園は地上にやってきません。競争だけ
が人類を支配し、利益追求に熱心になるなら、地獄がやってくるでしょう。
先に進むには、別の極がなくてはなりません。精神的な極を探求しないと、アーリマン的な極が力をふるうにちがいありません。
もし職業が専門化すると、「たしかに、人によって仕事はさまざまだ。しかし、みんなが自分の職業をとおして可能なかぎり多くの
ものを得ようとしている。これがみんなを等しくする」という一体性になります。たしかにそうですが、それはアーリマン的原則で
す。
世界が純粋に外的な前進でやっていけると思うのは、「男たちはますます悪くなっていった。男たちは今日、世界にとって有害で
あり、不要だ。男たちを根絶すれば、物質界で世界進化が適切に行われる」と言うようなものです。男性すべてを撲滅すれば人
類は存続しないのですから、そのような意見は変でしょう。
これは物質界に関する意見ですから、それが変なことを人々は理解します。精神世界においては変かどうか、人々は分かりま
せん。しかし、精神的な状況に関して、たんに外的に進化するのだと言うのは、やはり変なのです。たんなる外的な進化というこ
とはありえません。
かつての進化期が抽象的な宗教を要求したように、新しい進化は精神科学運動において努力されているような具体的な精神的
認識を求めます。解き放された職業・仕事から作り出される元素霊たちは、人間の心魂が精神的領域へと上昇する衝動から受
け取るものによって実りをもたらされねばなりません。
これが精神科学の唯一の課題というわけではありませんが、これが進歩・変化する職業のいとなみに対する精神科学の課題で
す。ですから、宇宙進化をとおして、人間の心の洞察に到らねばなりません。職業が人間を機械的にする分だけ、専門化・機械
化された人間のために、その対極が集中的に活動しなくてはなりません。どのように専門化されたかにかかわらず、自分を他人
の心魂に近づけるもので自らの心魂を満たす必要があるのです。
職業人にとって生活がどうでもよかった時代が過ぎ、人間がまったく別の衝動から創造する時代がやってくるでしょう。昔の良い
職業衝動に勝るとも劣らない衝動が生じるでしょう。昔の職業衝動が改新されるのではなく、別の衝動に取って代わられるにち
がいありません。(P140-P142)
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