アカシャ年代記
秘儀に参入した者は、かつて地球であったもの、これから地球になるもの、そして惑星系外の宇宙と地球を結びつけるものを知
ります。
ここで、何よりも、神界、つまり理性界で出会う、通常、「アカシャ年代記」と呼ばれているものが重要になります。「アカシャ年代
記」は神界で作られるのではなく、もっと高次の領域で生じるものですが、神界まで達すると「アカシャ年代記」と呼ばれるものが 見えはじめます。「アカシャ年代記」とはいったい何なのでしょう。地球上、あるいは、その他の世界で起こったことはすべて、あ る精妙な実体に永続的に刻印され、秘儀に参入した者はこの記録を見出すのです。普通の年代記ではなく、生きた年代記とい うことができます。(P56)
「アカシャ年代記」はたしかに神界に存在するのですが、アストラル界にまで下ってきているので、しばしば、アストラル界におい
て「アカシャ年代記」の映像を蜃気楼のように見出すことがあります。このアストラル界で見られる「アカシャ年代記」の蜃気楼は 往々にしてまとまりのない、不確かなものなので、過去の事象を探究しようとするとき、このことに注意しておくのは大切なことで す。(P58)
霊媒を使用すると、他の誤謬の原因が生じます。霊媒は「アカシャ年代記」を見ることはできますが、たいていはアストラル的反
映を見ているのです。「アカシャ年代記」に特徴的なこととして、ある人を探究しますと、その人は生きている人のように振る舞う のです。ゲーテに会いますと、彼はかつて語った言葉で答えるだけでなく、ゲーテ的な考えでもって答えます。生存中に書いた ことのない詩をゲーテ的な文体と感受性をもって創作することもあるのです。アカシャ表象像は本来、人間の感覚に作用しつづ けるほどいきいきとしています。ですから、この表象像をその人物自身と思い違うことがあるのです。霊媒は霊的な世界で生き つづけている死者に出会ったと思いこみます。実際に霊媒の前に現れるているのは、アストラル的なアカシャ像にすぎないので す。カエサルの霊はすでに再受肉しているかもしれません。カエサルのアカシャ像が交霊会でさまざまな質問に答えるのです。 交霊会で出現するのはカエサル自身ではなくカエサルが「アカシャ年代記」の中に残した刻印です。このために、霊媒交霊会で は多くの誤謬が生じます。アカシャ像の中に残る人間の姿と、輪廻転生を通して発展をつづける個人とを区別しなければなりま せん。これは非常に重要なことです。(P59)
敵国の霊魂を味方につけて戦う
1904年から5年にかけての日露戦争にアストラル的諸存在が参加したのですが、その中にはロシアの死者たちもいて、彼らは
ロシア民族に対抗して戦ったということが霊的な観察から明らかになります。ごく最近のロシアの歴史の中で、多くの高潔な理 想主義者たちが牢獄や断頭台で命を失いました。彼らは立派な理想主義者でしたが、自分たちを処刑した者たちを赦すことが できませんでした。彼らは自分たちを殺した者たちに対する猛烈な復讐心を持って死にました。このような復讐心は、欲界期に おいてのみ存在することができます。死後、彼らはアストラル界から日本の兵士の魂に、ロシア民族に対する憎しみと復讐心を 浸透させました。神界にいたったとき初めて、彼らは自分たちの敵を赦すことができるのです。(P77)
魔、妖怪、幽霊、幻影
人間は自分の知らない力に人生を導かれている、ということを明確にしておく必要があります。エーテル体に作用するのは、か
つてアストラル界で自らが作り出した形態、形象です。運命に作用するのは高次の神界の、「アカシャ年代記」に自ら記入した 力、実体です。神秘学者はこの力、実体をいくつかの位階に分類しています。アストラル体と同様に、エーテル体、肉体にも他 の実体の作用が認められます。心ならずも行ってしまうこと、行為を促されるようなことは、他の存在の作用によって喚起されて いるのです。何もないところから行為が惹起されるのではありません。人間の諸構成要素は実際、絶えまなく他の存在に貫か れ、浸透されています。秘儀参入者たる導師は修行を伝授し、人々が肉体、エーテル体、アストラル体に侵入した存在を追い出 して自由になるようにさせます。
アストラル体の中に侵入し、人間から自由を奪う存在は魔(デーモン)と呼ばれています。人間のアストラル体は絶えず魔に浸透
されています。人間の真正な思考、誤った思考から作り出されるものが、徐々に魔へと成長していきます。善良な思考から生ま れ出た善良な魔もいます。邪悪な思考、とくに、不正な、虚偽の思考から生まれ出た魔は、恐ろしい、厭わしい姿をしていて、い わば、アストラル体を買収するのです。エーテル体に浸透するのが妖怪(スペクトル)、幽霊(ゲシュペンスト)です。私たちはこのよ うな存在から自由にならねばなりません。肉体に侵入するのは幻影(ファントム)です。この三つのほかに、自我を往き来するの が霊(ガイスト)です。自我自身も霊です。人間がこれらの存在を呼び出し、人間が地上に受肉するとき、これらの存在が内的、外 的な運命を決定します。魔がアストラル体に、幽霊がエーテル体に、幻影が肉体に働きかけているのがわかります。これらの存 在すべては私たちと密接な関係を有し、再受肉する際に私たちに近づいてこようとします。(P87-P88)
人間の構成要素
人間は肉体人間、エーテル人間、アストラル人間、そして自我から成っています。けれども、まだ人間の本質全体を把握できま
せん。人間は肉体、エーテル体、アストラル体、自我という四つの構成要素を地上への最初の受肉に際して有しており、輪廻転 生を通して、高次の存在へと進化していきます。自我がアストラル体、エーテル体、肉体に働きかけることで人間は進化していく のです。
初めて地上に受肉した遥かな太古の人間は、自分の願望や欲望に全面的に従っていました。この太古の人間も四番目の構成
要素、自我を有してはいたのですが、動物のように生きていたのです。このような太古の人間を崇高な理想主義者と比較してみ れば、太古の人間は自我によってアストラル体に働きかけていないということがわかります。人間は自らのアストラル体に働き かけることによって、一歩進化します。アストラル体の本来の性質が内面から支配されるようになるという形で、この働きかけは 行なわれます。平均的なヨーロッパ人は、何らかのアストラル的な衝動を感じたとき、他人がこのようなけしからぬことをするの は許されないが、自分はこの衝動に従ってもかまわないと自らにいいきかせます。アストラル体の中に本来的に生きるものを自 我の支配下におくと、それが霊我です。霊我はマナスという名でも呼ばれます。マナスは自我によってアストラル体が変化させ られた結果生じたものです。アストラル体の中に本来存在するものを整理して霊我へと変容させるのです。
さらに進化すると、人間はアストラル体だけでなく、自我によってエーテル体にも働きかける能力を獲得します。アストラル体に
対する働きかけとエーテル体に対する働きかけとの間にどのような相違があるかを明らかにしておきましょう。子供の頃から学 んできたことは膨大な量になります。人間は多量の概念を受け入れ、もはや自らの激情や熱情に盲目的に従うことはなくなりま す。けれども、たとえば、短気だった人が短気を克服しても、しばしば激昂に襲われることがあります。記憶力をよくしたり、固有 の素質や良心の強弱を変化させることは非常に困難なことです。気質の変化は時計の短針のゆっくりとした進みに比較できま す。秘儀参入の本質はここにあります。単なる準備のように思われても、気質を変化させることは秘儀参入にとって本質的なこ とであり、大きな意味があるのです。悪い記憶力を良い記憶力に、短気を柔和に、憂鬱質を沈着さに変化させることは、多くのこ とを学ぶよりも多大の効果があります。このような変化の中に内面の隠れた力の源泉があるのです。このような変化が、自我が 単にアストラル体だけでなく、エーテル体に働きかけられた徴(しるし)です。
素質の出現の萌芽はアストラル体の中にも探求しなければなりませんが、素質を変化させるには、その萌芽をエーテル体の中
に探求しなければなりません。エーテル体に働きかけることによってのみ、素質を変化させることができるのです。自我がエーテ ル体を変化させた分だけ、人間の中には生命体に対置する生命霊が存在するようになります。神智学では生命霊はブッディと 呼ばれています。ブッディの実体とは、自我によって変化させられたエーテル体の部分にほかなりません。
肉体は人間の本質の中で最も凝固した部分であり、肉体を形成している諸力は最も高次の世界から発しています。自我がエー
テル体のみならず、肉体をも変化させられるほどに強いものになると、人間は自らの内に、現在においては人間本性の最も高次 の構成要素であるアートマ、本来の霊人を作り出すことになります。肉体を変化させる諸力は最も高次の世界に存在します。呼 吸の過程を変化させることによって、肉体は変化しはじめます。アートマという言葉は呼吸(アートメン)を意味しています。呼吸過 程の変化によって血液の性質が変わります。血液は肉体に働きかけ、このことを通して、人間は最も高次の世界にまで上昇し ていきます。
ここで、無意識的な変化と意識的変化の二つを区別しなければなりません。事実、現代人は無意識のうちに、自我によって低
次の構成要素、アストラル体、エーテル体、肉体を変化させています。今日の進化段階では、意識的に変化させられるのはア ストラル体だけです。意識的にエーテル体を変化させるには、秘儀に参入しなければなりません。
おのおのの人間は、太古の人間も本来、肉体、エーテル体、アストラル体を有し、この三つの構成要素の中に自我を有していま
す。この三つの構成要素の変化がこれから始まります。長い間、人間は無意識のうちにこの変化を行なってきました。今から は、意識的にアストラル体を変化させはじめるようになります。秘儀参入者は現在、エーテル体を意識的に変容させています。 将来、すべての人間が意識的にエーテル体と肉体を変化させるようになります。
人間は本来的に三つの構成要素、肉体、エーテル体、アストラル体、そして自我を有しています。自我はこの三つの構成要素
変化させます。すでに自我はこの三つの構成要素を変容させ、無意識のうちに、感覚魂、悟性魂、意識魂を萌芽として生み出し てきました。
薔薇十字的神智学では、感覚魂、悟性魂、意識魂を区別しています。意識魂において初めて、自我は意識的な変化作用を行
ないます。自我はアストラル体の中で霊我を、エーテル体の中で生命霊を、そして、肉体の中で本来の霊人、アートマを発展さ せていきます。このように、人間は全部で九つの構成要素を有しているのです。
外見上は、感覚魂と魂体(アストラル体)の二つの構成要素は刀と鞘のごとく互いに嵌まりこんでいます。感覚魂が魂体の中に
嵌まりこんでいるので、この二つは一つのもののように見えます。霊我と意識魂も同様に一つのものに見えます。したがって、九 つの構成要素は七つに還元されます。
七つの構成要素として、
1 肉体
2 エーテル体、もしくは生命体
3 感覚魂が嵌まりこんでいるアストラル体
その次に、
4 自我
そして、高次の構成要素として、
5 意識魂と一つになった霊我、もしくはマナス
6 生命霊、もしくはブッディ
そして、最も高次のものとして、
7 霊人、もしくはアートマ
が数えられます。
人間本性の内的関連として、これに二つ加えて、本来九つの要素が挙げられます。
ですから、薔薇十字の方法では、三掛ける三、すなわち九つの構成要素を区別しています。この九つは繋ぎあわせると七つに
還元されます。けれども、七つの構成要素の中に九つの構成要素を認識しないと、理論的な観照に陥ってしまいます。
つまり人間は、
9 霊人
8 生命霊
7 霊我
6 意識魂
5 悟性魂
4 感覚魂
3 アストラル体
2 生命体
1 肉体
の九つから成り立っているのです。
自我は魂を照らし、次に、三つの体への働きかけを開始します。(P37-P43)
(関連ページ) 神智学-人間の本質
喉頭の変容
現在、魂は人体の中に生きています。人体は感覚を通して観察できます。けれども、いったい人体はどこから生じたのでしょう。
魂が下ってくる以前の人体は、今日とは非常に異なったものでした。今日の物質的な見方からすれば、かつての人体は滑稽な ほど現代の人体とは異なっていました。魂が人体の中に入りこみます。どのようにして人間は今日の姿へと発達したのでしょう か。魂が体に働きかけうることによって、発達してきたのです。今日、魂は体にどのように働きかけうるかを考えれば、いかに魂 が体に働きかけてきたかを理解することができます。人間が肉体に働きかけうる可能性は、比較的少ないのです。
今日、どのような場合に魂が肉体に一時的に働きかけるかを観察してみてください。たとえば、何かに驚かされたり、不安にな
ったりします。不安と恐怖の印象が私たちを蒼ざめさせます。また、赤面して顔つきが変わったりします。このような変化はまも なく消え去りますが、この変化がどのように生じたのかを見てみましょう。何かが魂に影響を与え、その作用が血液を通して肉 体及び、顔つきが変わるのです。もっと強烈な作用が起こることもありえます。霊的な生活を送っている人々が、相貌を自らの霊 的な創造行為の写しとしていることは、ご存じと思います。人相を見て、その人が思慮深い人か、ものを考えずに生きている人 かを知ることができます。このように、人間は今もなお自分の外的な表情に働きかけています。高貴な感じ方をする人は、その 感情を身のこなし方の中に表現します。これは何千年もかけて人類が自らに働きかけてきたことの、ごくわずかな残余にすぎま せん。
今日では血液の流れの変化によって顔が赤くなったり、蒼くなったりする程度です。かつては人間は霊界の表現である形象世
界の完全な影響下にありました。今日よりもずっと強く人体組織に働きかけることができたのです。体はまだ柔軟でした。手を伸 ばしたり、指で指し示したりできるだけでなく、意志を手の中に送りこみ、手を形成し、指を形成することができるようになりまし た。しっかりしていなかった足は、必要に応じて人間の中から発達していきました。人間は周囲から受け取る表象を通して自ら の体を形成していました。今日の物質的な時代において、この変形、改造は考えうるかぎり最も遅い速度で進行していますが、 再び速度を増していくことになります。将来、人間は再び自分の肉体に対してもっと影響力を持つようになります。秘儀参入者を 考察することによって、どのような方途によってこの影響力を獲得するのかが明らかになります。この人生においてこの力を獲得 できないとしても、来世のために多くのことをなすことはできます。
それゆえ、人間は自らの体の未来の形態を自分で作りだすのです。硬い部分から離れ、ますます柔軟になることによって、人間
は未来に向かっていきます。将来、人間はかつてのように自分の地上的な部分の上に生きるようになります。今日の眠りと比 較できるこの状態は将来、自分の意志でエーテル体を肉体から引き出せる状態へと移行します。人間の最も硬質な部分が地 上に存在し、人間は外部から、この硬い部分を道具のように使うようになります。人間は体の中にあって、体を担うのではなく、 体の上に漂うようになります。体自体は精妙で希薄なものになります。このような話は空想的ものに思われるかもしれません が、ちょうど天文学の法則によって日蝕や月蝕が予測できるように、霊的法則から確かなものとして知りうるのです。
そして、何よりもまず、人間は生殖力に働きかけます。生殖力が今日とは違ったものになるというのは、多くの人々にとって表象
しがたいものです。けれども、生殖の仕方は変わるのです。今日の生殖や生殖衝動は将来、他の器官に移行変化します。将来 の生殖器官となるように準備されているのが喉頭です。今日、喉頭はただ空気の振動を作り出せるだけ、言葉の中にあるもの を空気に伝えられるだけであり、言葉の振動に相応しています。が、やがて、喉頭からは言葉の律動が発せられるだけではな く、言葉は人間や物質に浸透されるようになります。今日、言葉は単に空気の波動となるだけですが、将来、人間はその似姿を 言葉のように喉頭から発することになります。人間は人間から発生し、人間は人間を話し、作り出します。話し出されることによ って、新しい人間が誕生するようになるのです。
このことが、現在私たちの周囲にあり、自然科学が説明できないでいる現象に光を投げかけます。生殖衝動は再び無性的なも
のへと変化し、かつての生殖の機能を担います。男性の人体組織は性的成熟期に喉頭に変化が生じ、声は低くなります。声変 わりと、喉が将来、生殖器官になるということとは関連しているのです。神秘学は人生の諸事象を解明し、唯物論的な学問が説 明できない現象に光を投げかけます。(P184-P185)
心臓の変容
喉頭の器官が変形されるように、心臓も変容します。心臓は血液循環と密接な関係を持った器官です。科学は心臓は一種のポ
ンプのようなものだと信じています。これはグロテスクで空想的な考え方です。神秘学は決して今日の唯物論のような空想的な 主張はしません。血液を動かす力は魂の感情なのです。魂が血液を動かし、心臓は血液に動かされて運動しているのです。唯 物論的な科学がいうことと正反対のことが真実なのです。ただ、今日、人間はまだ自分の意志で心臓を動かすことができませ ん。不安を抱くと、心臓は速く鼓動します。感情が血液に作用し、血液が心臓の動きを速めるからです。今日、思うにまかせず甘 受していることに対して、将来、より高い進化段階において、人間は支配力を持つようになります。将来、人間は血液を自分の 意志で流れさせ、心臓をあたかも手の筋肉を動かすように運動させるようになります。心臓の独特の組織は現代科学にとって悩 みの種になっています。心臓は横紋筋でできていますが、横紋筋は心臓のほかには随意筋にしか見出されません。どうしてで しょうか。心臓はまだ進化の途上にあり、将来随意筋となる未来の器官だからです。そのことの萌芽がすでに、心臓の構造の 中に示されているのです。
このように、人間の魂の中に生起することが、人体組織の構造を変化させます。発した言葉から自分に似た人間を生み出し、心
臓は随意筋となり、その他の器官も変化したのが、地球の次の受肉状態における人間の姿です。地球紀において、人間は鉱 物界の影響圏内にまでくることができました。鉱物界は今日ある形態としては、最後に発生したものですが、一番先に再び消え 去ります。人体はもはや今日のように鉱物素材からは構築されず、未来の人体にはまず植物素材のみが組みこまれます。現 在、人間の中で鉱物的に作用しているものはすべて消え去ります。卑近な例ですが、今日、人間は唾を吐きます。唾液は鉱物 的な生産物です。人体は鉱物的過程の相互作用からできているのです。人間が鉱物的な進化を終了すると、もはや唾を吐くこ とはなくなります。唾は植物的なものとなり、いわば、人間は花を吐くようになります。腺はもはや鉱物的なものではなく、植物 的なもののみを分泌します。人間が再び植物的存在へと進化することによって、鉱物界は克服されます。
人間は鉱物的なものをすべて除去し、植物的な創造へと移行して、木星紀に達します。そして、心臓がさらに発達して創造的な
働きができるようになり、今日、鉱物界で創造行為を行っているように、動物界を創造するようになると、 ----今日とは違った動 物を創造することでしょうが----人間は金星紀に至ります。そして自分に等しい似姿を創造できるようになると進化の意味は完 了し、「私たちの形姿に似せて人間を創造し……」〈創世記1・26〉という言葉は成就されます。
魂によって体を変化させうるという観点から考察することによってのみ、人間に変容が可能になります。神秘学的な、霊的な意
味において優れた思考を通してのみ、心臓と喉頭の変形は行われるのです。今日人類が思考するものが、将来の人類となる のです。唯物論的な思考をする人は将来、奇怪な存在を作り出し、霊的に思考する人は未来の器官に働きかけ、美しい人体を 発生させます。(P185-P188)
薔薇十字の道
叡智へと飛翔する最も新しい道は、薔薇十字の修行法です。この修行道は過去ではなく、未来を修行者に示します。薔薇十字
の修行によって体験した状態を、人間は将来生きることになるのです。一定の方法によって、人間が自分の中に有している叡智 を発展させるのが薔薇十字の行法です。この修行法は、クリスティアン・ローゼンクロイツと呼ばれている薔薇十字的秘教運動 の創始者によって与えられたものです。これは非キリスト教的な道ではなく、現代の状況に適応したキリスト教的修行道であり、 本来、キリスト教的修行道とヨーガ道の中間にあるものです。
薔薇十字的行法のある部分は、キリスト教成立のずっと以前から準備されてきました。薔薇十字的行法は、パウロの主宰した
アテネの秘教学院の偉大な秘儀参入者、ディオニシウス・アレオパギタの創設した修行法から、後代のすべての秘教的叡智と 修行が発生したのです。(P192) (関連ページ) ヨハネ福音書講義-パウロの学院
賢者の石
薔薇十字の修行は、人間の内部で炭素を酸素に変化させる器官を形成する、規則正しい呼吸を指導します。現在、植物が行っ
ていることを、将来、人間は自らの器官を通して行うようになるのですが、この器官を修行によって今から形成するのです。この 器官の形成には多くの時間を要します。規則正しい呼吸を通して、酸素を製造する器官を自らの内に形成できます。人間は現 在、鉱物的な存在ですが、将来、植物と一体となった存在になります。人間は炭素を自らの内に保持して、炭素から自分の体を 構築していくようになります。将来、人体はより植物に似たものとなり、神聖な愛の槍と出合います。そのとき、全人類は、今 日、秘儀参入者が高次の世界へと上昇したときに体験する意識を獲得します。人体の実質は、炭素を基盤とする実質へと変化 します。錬金術が人体を植物に似たものに構築していきます。このことを錬金術師は「賢者の石」の製造と呼び、石炭をその象 徴としました。人間が規則正しい呼吸を通してこの器官を作りあげることができたとき、初めて、石炭は「賢者の石」になるので す。この教えは師から弟子へと伝授されるもので、深い秘密に守られています。そして、自分を完全に浄化、純化した後で初め て、弟子はこの秘儀を受けることができるのです。もし、今日この行法を公開すれば、エゴイズムにとらわれた人間は、この最高 の秘密によって最も低次の欲求を満たそうとするでしょう。(P206-P207)
創造的断念
外的な生活において何かをなすとき、通常、その行為の基盤には意志の衝動があります。ちょっとした手の動作にしろ、偉大な
事業にしろ、人間の行為は意志衝動を基盤としています。人間を行為へと導くものは、すべて意志から発します。最初、人々は 「救済と祝福をもたらす偉大な行為は強力な意志衝動からなされ、あまり意味のない行為は虚弱な意志からなされる」といいま す。行為の偉大さは意志衝動の強さに比例するという考えに、たいてい、人々は同意します。
けれども、意志を強めることによって偉大な事業をなしとげられるという考えは、ある程度までしか正しくありません。ある点で
は、意志の強さと行為の偉大さとは比例しないのです。とくに、霊界と関係を持つ行為は、特別、意志の強さと関連しません。た しかに、私たちが生活している物質界においては、行為の偉大さは意志衝動の強さに依存しています。物質界では、目的に達 するための努力、緊張を必要とします。けれども、霊界ではその逆なのです。霊界において、偉大な行為、大きな働きをなすに は、積極的な意志衝動の強化ではなく、諦め、断念が必要なのです。身近な事象から考察を始めましょう。自分の熱望を表に 出したり、できるだけ活動的であることによって霊的な働きを行うのではなく、願望や欲望を抑制し、熱望の充足を断念すること によって、霊界で何らかの働きをなしとげるのです。
内的な霊的作業を通して何事かを地上において成就しようとしている人がいる、と仮定してみましょう。その人は何よりも第一
に、自分の希望や欲求を抑制することを学ばねばなりません。物質界では、滋養のある食物を摂ることで肉体が丈夫になりま す。霊界での意味深い行為は、断食やその他の方法によって、望みや欲望を抑制することによって達せられます。(こういった からといって、断食を勧めているのだとは思わないでください)。偉大な霊的行為、魔術的所業はつねに、このような自分の中に 現れる願望、欲求、意志衝動の断念という準備過程を必要とします。「意志」を放棄することによって、あれこれと希求することな く、人生を流れゆくままに任せ、カルマとその作用を静かに受け入れ、そして、この人生においてなしとげようとしている事柄をす べて断念すると、たとえば、思考の働きは力強いものとなります。
よい食事や飲み物を好む人が教師や教育家になった場合、その人の語る言葉は生徒に届きません。欲望の多い教師が語る言
葉は、生徒の耳を素通りしていきます。それなのに、このような教師たちは、自分の煩悩を省みないで、生徒の理解の悪さを叱 るのです。高い次元から人生を理解し、中庸を守り、必要以上の食事を摂らず、とくに、運命を受け入れるよう心掛けている人 は、やがて、自分の語る言葉が霊力を有するようになっているのに気づきます。言葉だけでなく、視線も力を持つようになりま す。それどころか、生徒のそばにいて、晴れ晴れとした思考を持つだけで、生徒を励ますことができるのです。どれほど深く、自 分の要求を断念しているかにかかっているのです。
高次の世界における霊的活動の正道は、断念の道です。ただ、このことに関しては無数の迷妄が存在します。外見上はほとん
ど区別のつかない迷妄が存在するのです。迷妄は正常な霊的行為につながることはありません。苦行や自己虐待は、多くの場 合、裏返しにされた肉欲にほかなりません。霊的な力を得るために行う苦行にしろ、他の熱望から行う自己虐待にしろ、肉欲へ の意志から発しているのです。ですから、霊的なものに根ざした断念のみが意味を持ちうるのです。ここで、私たちは創造的諦 念、創造的断念という概念を自分たちのものにしようと思います。この創造的断念を魂の中で体験することは、私たちの日常生 活の遥か彼方に存在する宇宙進化の表象を得るために、非常に重要なことなのです。創造的断念という概念を把握することに よって、私たちは人類の進化の深みの中に歩みを進めることができるのです。(P251-P253) |