宇宙のカルマ




私は太陽からやって来た

自然科学は太陽の動きについて語ります。自然科学には、それが可能なのです。というのも、自然科学にたずさわる人間は、
私たちを宇宙として取り巻く空間のイメージの内部で、ある種の現象をよりどころとしながら、「太陽は運行している」と理解する
ことができるからです。

ところが、それは空間の中へと入り込んでくる太陽の動きの似姿にすぎません。ですから、実際の太陽について語る場合には、
「太陽は空間の中を運行している」と言うことはまったく無意味なのです。なぜなら、空間は太陽から放射されているからです。
太陽は光を放射するだけではなく、さらに空間を作り出します。太陽の動きそのものは、空間の内部においてのみ空間的な動き
となります。空間の外では、太陽の動きは時間的なものになるのです。太陽がヘラクレス座の方へと急いでいるように見えると
しても、それは単なる太陽存在の時間的な発展の似姿にすぎません。

そうなのです、キリストは親しい弟子たちにこう言いました。「地上の生命に目を向けなさい。それは宇宙の生命と似通ってい
る。あなたたちが地球を見、そして周囲を取り巻く宇宙に目を向ける限り、この万有を貫いて生きているのは父である。父なる神
は空間の神である。しかし、私はあなたたちに、『私は太陽から、時間から、人間が死ぬと、その人間を受け入れることになると
ころの時間からやってきた』ということを告げなくてはならない。私はあなたたちに、時間の中から私自身をもたらした。私を受け
入れなさい」----こうキリストは言いました。----「時間を受け入れなさい。そうすれば空間の虜になることはない。しかし、その
ときあなたたちは、物質的なもの・エーテル的なもの・アストラル的なものという三つのものから、エーテル的なもの・アストラル
的なもの・そして霊我性にまで到る別の三つのものへと移行する道筋を見出さなくてはならない。物質的かつ地上的なものを宇
宙に見出すことができないのと同じように、霊我性を地上に見出すことは不可能である。しかし、私はこのような事柄について、
あなたたちに知らせをもたらす。なぜなら私は太陽からやって来たからである」。(P166-P168)
(関連ページ)  自然と人間の生活-太陽とは何か  14歳からのシュタイナー教育-古代の太陽観 宇宙のカルマ-私は太陽から
やって来た 星と人間-太陽という神霊存在




エリファス・レヴィ

かつて知識欲旺盛な人物がいました。この人物はメキシコ文明の最後の時代に、完全にデカダン的(頽廃的)で魔術的で迷信的
なものになったメキシコの秘儀の秘儀の祭儀の中で生きていました。この知識欲旺盛な人物はこのような文明の中で、あらゆる
ことを正確に学んだのです。

私がこの人物の前生に気づいたのは、次のようなことがきっかけでした。何年も前のことになりますが、私はある風変わりな男と
知りあいになりました。この男は原始的な方法で、メキシコの秘儀の中に存在しているデカダン的な考え方を研究していました。
彼はいまに到るもなお同じ研究を続けています。だが、このことはあまり重要ではありません。なぜなら、現在このようなことを研
究する人は、単に迷信的な事柄を研究しているだけだからです。現代では、こういったものすべてがデカダン的になっています。
ところで先ほどお話しした知識欲旺盛な人物は、アメリカ大陸が発見される以前の時代に----当時メキシコの文明(マヤ−アス
テカ文明)はまだ栄えていましたが、秘儀の文明としては死に絶えつつありました----メキシコであらゆることをすさまじい熱意を
持って学びました。

現代の人々はトアトル (Toatl)、クヴェツァルコアトル(Quetsalkoatl)、テツカトリポカ(Tetzkatlipoka)といったメキシコの秘儀に登場
した霊的存在たちについて語られても、これらの名称といくつかのイメージの他には、あまり多くのことを知りません。しかし、こ
の人物はかつてメキシコで人生を過ごしたときに、トアトルがどのような存在であるかを完全に知っていました。

すなわちトアトルは一種の宇宙的な万有の霊(Allgeist)であり、あらゆる雲の中に漂い、あらゆる水の中で荒れ狂い、虹の中で
輝き、稲妻と雷鳴の中で生き、さらに人間がある条件のもとで祭儀を行うことで、聖別された水の中に呼び出すことができる存
在なのです。また、この人物は、クヴェツァルコアトルが血液の循環と呼吸活動において人間に生命力を与える能力を備えた一
種の神性であることも知っていました。つまり、このようなメキシコ文明の中の生命力に満ちたものを、この人物は受け入れたの
です。

ここで私がお話している人物こそ、のちの近代文明の中に、エリファス・レヴィとして誕生した人間にほかなりません。
(P97-P100)