世界史の秘密



神話とは何か

今日、教養人が虚構の民族的空想と解釈している神話や伝説は、実際には当時の人間の霊視的な魂が物質存在の背後に見
たものに基づいて、語り継がれてきたものである。霊視的に見られたものが、神話や伝説のなかに表現されているのである。太
古の真正な神話、民話、伝説のなかに、今日の抽象的な学問よりも多くの認識と叡智と真実を見出すことができる。時代が下
るにつれて、さまざまな民族の霊視能力は減少していった。霊視力が消え去り、物質界に限定された意識が現れた時期は、民
族によって異なっている。(P9)

(関連ページ) 西洋の光の中の東洋-神話とは何か  神智学の門前にて-神話の描く世界 歴史を生きる-第三の意識状態の喪



ジャンヌ・ダルク

14世紀から16世紀にかけてなされた人類の近代への発展を少しでも考察したことのある人は、この、人類の近代への発展にお
いて、歴史上のある人物をとおして霊的−超感覚的諸力が働いたことをまったく外的な根拠から証明できます。そして、人類の
近代への発展におけるこの人物の位置に、非常に深い意味があることを理解します。歴史の霊的理解に光を投げかけるため
に、「もし、15世紀初頭にオルレアンの少女、ジャンヌ・ダルクが人類の発展に関与していなかったなら、近代ヨーロッパはどのよ
うになっていたか」という問いを発することができます。この時期の人類の発展をたんに外的に考察するだけでも、「15世紀にジ
ャンヌ・ダルクをとおして高次の超感覚的諸力が働かなかったなら、フランス、いや、全ヨーロッパの姿はまったく違ったものにな
っていたにちがいない」と言わざるをえません。当時、意志の衝動が頭脳のなかに移行し、ヨーロッパの全国家に、民族の固体
性を消し去る普遍国家の考えが広まっていました。そのような考えがさらに広まっていれば、この数世紀間におけるヨーロッパ
諸民族の相互の働きかけによって果たされた進展の多くがなされなかっただろうことは確かです。

当時の社会のなかで、とくに高い教育も受けていない、まだ二十歳にもならない少女が、1428年の秋、超感覚的世界の霊的な
諸力の語りかけを感じました。その諸力は、彼女になじみ深い姿をとって現れました。眼鏡をとおして対象物を見るように、彼女
はこの諸力を、自分に親しい表象という一種の眼鏡をとおして見たのでした。超感覚的な諸力が彼女の意志の力をある一定の
地点に向けるのを彼女は意識した、と想像してみてください。このことがアーカーシャ年代記にどのように記されているかをお話
しするまえに、歴史的に資料によって確証できることのみを、まずお話ししたいと思います。

オルレアンの少女は、まず自分を理解してくれると思われた親戚に、ほとんど偶然に自分の心中を打ち明けました。彼女は数々
の紆余曲折と困難を経たのち、シャルル7世の宮廷へと導かれていきました。シャルル7世は窮地に立っていました。大勢の
人々の中に、外見からでは区別できないように紛れ込んでいたシャルル7世を、ジャンヌ・ダルクはすぐに見つけ出します。シャ
ルル7世は自分だけが知っていることを彼女に尋ねて、彼女を試してみました。彼女はその秘密を言い当てました。皆様は外的
な歴史の記述から、彼女が自分の強固な信仰から発する衝動と印象、より適切にいえば直接的な霊視をとおして、非常に困難
な状況にあったフランス軍を勝利に導き、シャルル7世を王位に就かせたのをご存じのことと思います。

当時の歴史の発展に関与したのは誰なのでしょうか。高次の霊的諸存在以外ではありえません。オルレアンの少女は、この霊
的諸存在の道具だったのです。この霊的諸存在が歴史を動かす行為を導いたのです。悟性は、「もし自分が歴史を導いていた
なら、もっと利口なやり方をしただろう」と言うかもしれません。悟性は、オルレアンの少女の出現にともなって生じたさまざまの
事象を最適なものとは見なさないからです。今日のような文化の状況においては、人々は神々の行為を人間の悟性によって修
正しようと欲するのです。

オルレアンの少女をとおして働いたものに疑いを抱くのは馬鹿げたことです。そして、彼女の行為をとおして近代史全体の様相
が変化したことを考慮すると、外的な資料によって証明できるように、彼女の行為に直接、超感覚界の働きかけがあったのを見
ることができます。さらに、オルレアンの少女に霊感を与えた存在を霊的に探究していくと、驚くべきことが明らかになります。オ
ルレアンの少女を道具として使った存在が、まったく異なった形で、禿王カルル(823-877)に霊感を与えていたのがわかります。
この存在は、かつてその哲学的−神学的理念によってヨーロッパに深い影響を与え、キリスト教と新プラトン主義を結びつけたヨ
ハネス・スコトゥス・エリウゲナ(810-877)です。彼の力が、さまざまな時代に、さまざまな方法で、人々を道具として使っている
のがわかります。歴史のなかには、このように持続的に現象するものが存在するのです。(P31-P37)

ギリシア文化期は、すでに数世紀も前に終了しています。プレ・ギリシア時代に、霊的存在が人間の存在の核のなかに下って
働きました。現在、私たちはそれに対応する任務を果たすべきなのです。私たちは自我の働きをとおして得るもの、能動的に外
界の印象から自分の内に受け取ることのできるものを、まずまったく人間的な仕方で獲得することができます。けれども、純粋に
人間的なものだけを生み出すために、ギリシア−ラテン文化期の人々が立っていた位置にとどまってはなりません。私たちは努
力して獲得したものを、来たるべきものに織り込まねばならないのです。私たちは来たるべきもの、マナスすなわち霊我への方
向をとらねばなりません。けれども、これは第六文化期にはじめて可能になることです。私たちは第四文化期と第六文化期の間
に立っています。第六文化期には、自我が感覚によって受け取った外界の印象をとおして得たものを高次の領域へもたらすこと
になります。現在の第五文化期は、外界の印象に働きかけて得ることのできるものと、この印象を消化することによって獲得で
きるものすべてが上方へと向かえるように刻印を押す時期です。

この意味において、私たちは真に移行期に生きているのです。昨日、オルレアンの少女のなかに働いた霊的な力についてお話
ししたことを思い出していただければ、彼女のなかに、プレ・ギリシア時代における高次の諸力の働きかけとは反対の方向に働
いていたものが存在したことをお気づきになると思います。ペルシア文化期の人々が超感覚的な力の影響を受け、その力の道
具として使用されるとき、その力はまさに彼らの人間としての存在の核のなかに働きかけていたのです。人々はこの霊的な力
が植え付けるものを見、体験しました。このような仕方で、霊的な力は人々に霊感を吹き込んだのです。現代人がこのような霊
的な諸力と関係を持つようになると、物質界における自我の働きによって、自我の印象をとおして体験したものを上方に向けて
捧げることができるようになります。ですから、オルレアンの少女のような場合、彼女に語りかける霊的な諸力の啓示に一定の
型を与えるものが存在したのです。すなわち、自我がこの物質界で体験するものが、霊的世界からの啓示に一定の型を与える
のです。オルレアンの少女は啓示を受け取ったのですが、古代の人々のように直接的に啓示を見たのではなく、彼女が物質界
で受け取った表象世界が、彼女の自我と霊的世界からの客観的な諸力との間に現れたのです。彼女の有するキリスト教的な
表象から取り出された聖母マリア、大天使ミカエルのイメージが、彼女の自我と客観的な霊的諸力との中間に現れたのです。

霊的な問題を扱うときには、啓示の客観性と意識内容の客観性を区別する必要があります。オルレアンの少女は、聖母マリア
と大天使ミカエルをある確かなイメージの形でみました。このイメージを、そのまま霊的な現実と考えてはなりません。このイメー
ジをそのまま客観的なものと考えてはならないのです。けれども、だれかがこのマリアやミカエルの姿をたんなる妄想だというな
ら、そのような発言は無意味です。霊的世界からオルレアンの少女に送られた啓示は、ポスト・アトランティス時代の第六文化期
になってはじめて私たちに見えるようになる形態で現れたのです。彼女が真実の姿を見なかったとはいえ、真の形態は彼女の
上に下りてきているのです。彼女はその姿に当時の宗教的表象を付し、真の姿を覆い隠したのです。霊的な力によって、彼女
の表象世界が刺激されたのです。こうして、その啓示は客観的なものと思われたのでした。かりに今日、だれかが霊的世界か
らの告知に主観的要素が流れ込んでいることを立証し、霊的世界に関する表象像が客観的なものではなく、たんなるヴェール
であることが明らかになっても、客観的な啓示そのものをそのようなヴェールとして解釈すべきではありません。その啓示は客観
的なのです。啓示は私たちの魂のなかから啓示の内容を作り出すのです。啓示の内容の客観性と、霊的世界から送られてくる
事実の客観性とを区別しなければなりません。

このことに関しては、霊的世界を承認している人々も誤りを犯しがちなので、とくに強調しておかなくてはなりません。 (P55-
P57)