西洋の光の中の東洋




聖杯

天から地へと転落するルシファーの王冠から宝石が落ちた、と伝説は語っています。この宝石から、キリスト・イエスが使徒たち
とともに最後の晩餐に使用した器が作られました。この器はまた、十字架上のキリストから流れ出る血を受け取りました。この器
は天使たちによって西洋世界にもたらされ、キリスト原則を真に理解した人々に渡されました。ルシファーの王冠から落ちた石か
ら、聖杯が作られたのです。

聖杯とは何でしょうか。

東洋を統治するルシファーの王冠から宝石が落ちました。この宝石は、ある意味で、人間の自我の「全き力」にほかなりませ
ん。(P21)


肉体とエーテル体の分離

現在、エーテル体と肉体がもっとも密接に浸透しあっていた時代は、すでに過ぎ去りつつあります。私たちは、ふたたび逆の方
向に進化を歩みはじめているのです。今日エーテル体は、ふたたび肉体から離れていこうとしています。エーテル体が徐々に肉
体から離れていく、という進化の方向を歩んでいるのです。人間組織は、ふたたび太古と同じように、エーテル体が肉体を越え
出るようになります。私たちは、この経過の途上にいるのです。この途上にいるために、病気のように見える状態に陥ることもあ
ります。(P142)


神話とは何か

かつてのまだ霊的な時代、人間は、今日のような抽象的で唯物論的な科学よりも賢明でした。そして、人類は太古の状態から
現在の状態にいたった、といういう意識を持っていました。かつて人間は、意識したものを、抽象的な形式や理論によってではな
く、いきいきとした色彩にとんだイメージによって表現しました。

今日の学者が机上の空論を展開するように、神話は人間が頭をひねって考えだした空想なのではなく、霊的な観照によって獲
得された、深く、根源的な叡智の表現なのです。かつて人間は世界をより広く感じていた、と古代人は意識しており、それを神
話に表現したのです。

古代インド人の有した霊感は、原初の朦朧とした霊視の、最後の痕跡です。このことを、当時の人間は知っていました。しかし、
同時に、しだいに霊視は衰え、感覚界に限定された外的な人生にとってかわられねばならない、ということも知られていました。
このことが多くの神話のなかで語られています。

たとえば、昨日お話ししたように、地下の霊たちに導く密儀があり、宇宙的な霊たちに導く密儀が存在する、ということを古代の
人間は知っていました。すべては明瞭に区別されていました。正しい道を探求しない者が密儀の叡智が存在することを知らない
ように、密儀に参入していない者はその二つの道についてなにも知りませんでした。

しかし、多かれ少なかれ、密儀についての情報が世間に流れていました。過去にさかのぼればさかのぼるほど、密儀は全盛を
きわめていました。ギリシアの密儀は、もはや輝かしいものではありませんでした。密儀は衰退していきました。それでも、霊視
意識がまだ活動している場から発するものは、世界を貫いて流れる霊的実質と関連している、ということを人々は知っていまし
た。そのように霊視意識の支配している場では、その他のところでは知りえない宇宙についての秘密がまだ体験できることを、
人々は知っていました。

衰退期にあっても、霊視意識が育成されていた神託の地では、なにかが体験でき、感覚に結びついた人間的観照、通常の感
覚的観照によっては体験されないものが告げられました。しかし、人間は進化し、古い観照によって到達できるものは原初の時
代にのみ適したものであり、新たな時代には役に立たない、ということも知られていました。

神話に由来するものは、たしかに人間の好奇心を刺激し、人間は秘密に満ちた世界の関連について知りたいと思ったのです
が、人間はもはや霊視能力をどのように扱えばよいのかわからなくなっている、という意識がギリシア人に現れました。いまや
人間はかつてとは違った仕方で世界のなかに立たねばならず、それゆえ、かつての霊視力に固執するなら正しいことは始めら
れない、とギリシア人は考えました。そのような霊視力は、古代の人間には適したものであったのですが、新たな時代の人間に
はもはや適さないものでした。このことを、ギリシア人たちは壮大なイメージの形で語りました。たとえば、オイディプス伝説という
形のイメージで、このことが語られています。(P157-P158)
(関連ページ) 世界史の秘密-神話とは何か  歴史を生きる-第三の意識状態の喪失