いま、シュタイナーの「民族論」をどう読むか




日本人の唯物論は欧米人の唯物論を凌駕してしまうだろう

日本人が形成したような霊的な思考は現実のなかに進入していきます。それがヨーロッパ−アメリカの唯物論と結びつき、ヨー
ロッパの唯物論が霊化(精神化=脱唯物論化)されないなら、その思考はヨーロッパの唯物論を凌ぐことは確かです。ヨーロッ
パ人は、日本人が持っているような精神の可動性を持っていないからです。このような精神の可動性を、日本人は太古の霊性
の遺産として有しているのです。(P76-P77) (参考徳行寺たより)
(関連ページ) 色と形と音の瞑想-ヨーロッパの白色人種


日本人 
 
歴史において通常、民族移動の時代(4世紀後半)と呼ばれる時代にヨーロッパに住み、移住した人々がいます。この住民の魂
は、南から北に広まってきたキリスト教を受け入れた魂に似ています。つまり、キリスト教化のなかで成長した魂です。今日のキ
リスト教とはかなり異なった、紀元後数世紀にヨーロッパに生きてキリスト教を受け入れた魂は、ふたたび中部ヨーロッパに受肉
してはいません。紀元後数世紀にヨーロッパに受肉し、キリスト教が文化的に南から北に広まってきたのを体験した魂は、いま、
むしろアジアに受肉しています。いま述べたことは、1910年代の恐ろしい破局(第一次世界大戦)のときに、とくにはっきりと現
れています。とくに日本民族にそのような魂が受肉していることを知ると、現在の地球文明を新たな方法で考察できます。かつ
てヨーロッパで特別な方法でキリスト教化を体験した魂は、いま、キリスト教について聞く機会がない地域に住んでいます。意識
下からの当時のキリスト教衝動とともに、退廃したアジア主義のニュアンスを内に担っています。今日のヨーロッパに対立するも
のも、内に担っています。それは本質的に、かつては偉大であったのに退廃した東洋の叡智と、南から北上してくるキリスト教を
受け入れたヨーロッパの野蛮な民族の素朴なキリスト教衝動との共鳴の結果なのです。

民族移動の前後にヨーロッパに生きていた人々に目を向けることができます。民族移動のころに、南から広まってきたキリスト教
に出会ったヨーロッパ人たちです。彼らはキリスト教を、今日とはちがって、根源的、本源的な、生命全体に作用していた計り知
れない力を持った形で受け入れました。キリスト教は抽象的で悟性的な神学にまだ浸透されておらず、魂の基本感情に働きか
けました。この当時ヨーロッパにいて、このような方法でキリスト教を受け入れた魂の大部分は、ほかの場合よりもやや長い期
間を死と再受肉あいだで過ごして、今日アジアに受肉しています。とくに、当時キリスト化された魂の多くは今日、日本人の身体
に受肉しています。多くの謎を提出している、アジアの独特の生を理解するには、今日アジアには前世でキリスト教的感情を受
け取った魂が、すでに言語をとおして子どものころから、退廃した古い東洋文化に囲まれていることを明らかにしなければなりま
せん。(P78-P79)
(関連ページ) 神秘学オデッセイ-20世紀初頭の日本人