美しい生活




下方倍音

精神科学を手段として、人間の生命が中世から近代までどのように経過したかを考察してみましょう。そうして心魂のなかを見る
ことができたら、人間と言語との関係が、第4ポスト・アトランティス文化期においては今日とは別様であったことを私たちは見出
します。その関係は14世紀・15世紀まで、今とは別様でした。

人の語る言葉を聞くとき、当時は下方倍音も正しく聞き取られていました。今日では、人間は物質的にしか音声のなかに生きて
いないので、そのようなことがもはや信じられていません。かつては、同じ音が1オクターヴ下で響くように、霊的なものが共鳴し
たのです。自分が話すとき、あるいは人が話すのを聞くとき、個々の言語に分化していないもの、人間一般的なものが共鳴した
のです。

言語体験における下方倍音の消失に気づかない人は、15世紀・16世紀・17世紀に人類が受けた衝撃を理解できません。そ
のとき、何かが人間から失われたのです。それ以前は、人間の心魂は下方倍音を体験していました。言語体験における下方倍
音の響きが、人間の心魂のなかで、まだ生きていました。ですから、この時代の前と後では、歴史全体がまったく異なった特色
を有します。(P38-P39)


教師と生徒

精神科学の概念が外的な生活においていきいきとなる、もうひとつの分野に触れるべきでしょう。例として、私は教育の分野、
教育技芸の分野を選びたいと思います。大人が子どもを教育するということについて語るとき、唯物論的な今日の人々は何を表
象するでしょうか。唯物論的な時代の人々は子どものなか、大人のなかに、唯物論的な見解が提供するものしか見ません。「老
人が若者を教育する」という見解です。

しかし、そうではありません。老人というのは外的なマーヤーにすぎません。若者というのも、外的なマーヤーでしかありませ
ん。老人のなかには、マーヤーに含まれないものがあります。輪廻していく不可視の人間です。そして子どものなかにも、輪廻し
ていく不可視の人間が存在しています。(P55)


宇宙の力が、山脈を引き出した

つぎのようなことを考えてみましょう。地球のさまざまな地点に、人間は立っています。さまざまな人が、地上に立っています。あ
る地域の人々は母音的な言語を受け取り、他の人々は子音的な言語を受け取ります。

その地域では、何が起こっているのでしょうか。多くのことが起こるのですが、一つのことを取り上げましょう。ある地域には高い
山脈があり、別の地域は平地です。平地では、言語は母音に富んでいます。山地では、言語は子音に富む傾向があります。

しかし、ものごとはそう簡単ではありません。「どのようにして山脈ができ、どのようにして平地ができたのか」と、私たちは問わ
なくてはなりません。いたるところに陸があり、日が射しています。地球全体は、かつて粥状でした。山脈は、粥状のものから引
き出されたにちがいありません。地球は根本的に粥状のものであり、そこから山脈は引き出されました。

何が山脈を引き出したのでしょう。外から作用する宇宙の力が、山脈を引き出したのです。ですから、「何らかの力が宇宙から働
きかける。その力が山脈を引き出す」と、私たちは言うことができます。その力は強いので、山脈ができたのです。

宇宙からやってくる力が弱いところでは、山脈はできません。太古の地表は、いまほど山脈が引き出されていませんでした。宇
宙から作用する力が少ない地域で生まれた人々は、母音で語ります。宇宙から作用する力が多い地域に生まれた人々は、子
音で語ります。宇宙の力に関連しているのです。(P132-P133)
(関連ページ) 自然と人間の生活-5、6000年後には、「別の地域」に氷河期がやってくる

個我と蝶のイメージ

私たちは蝶が飛び回るのを見ます。それは個我なのです。私たち人間は、自分のなかに個我を有しています。蝶は個我を外に
有しています。個我は本来、光なのです。それが蝶に色を付けます。

このことを考えると、何かが明らかになるにちがいありません。みなさんは自分のことを「私」と、言っています。

みなさんが自分のことを「私」というとき、それは何を意味するのでしょうか。みなさんが自分のことを「私」と言うたびに、みなさん
の額に小さな炎が輝くのです。ただ、通常の目には、この炎は見えません。それは光です。私が自分のことを「私」と言うと、私
は自分のなかに光を呼び出します。私が自分のことを「私」と言うとき、蝶を彩色するのと同じ光を、自分のなかに呼び出します。
自分のことを「私」と言うときに生じるものを、外の自然のなかに観察するのは、非常に興味深いことです。

私が個我を全世界に放射できたなら、それは光でしょう。私は個我を、自分の身体によって閉じ込めています。個我を放射でき
れば、その光で純粋な蝶を作ることができるでしょう。

人間の個我は、純粋な蝶を創造する力を持っているのです。昆虫などを作り出す力を持っているのです。

昔は、このようなことが知られていました。人間はすべてを簡単に表象します。古代ユダヤには「ヤハウェ」という言葉がありまし
た。この言葉は「私」と同じ意味です。ヘブライ語の「ヤハウェ」という言葉は、司祭のみが発することができました。司祭は自分
のことを「私」と言う準備ができていたからです。司祭は「ヤハウェ」と発音するとき、いたるところに飛び回る蝶のイメージを見ま
した。もしも「ヤハウェ」と発音したときに何も見えなかったら、内的に正しい力強さをもって語っていない、ということを司祭は知っ
ていました。蝶が見えたら、正しい内的な力強さを持っているのです。

しかし、司祭は他の人々に、このことを伝えることはできませんでした。そのようなことをしたら、人々は気が狂ったからです。で
すから、まず準備が必要でした。
(P166-P169)