エーテル界へのキリストの出現





人間の新しい心魂能力

私たちの心魂が古代の夢のような霊視に立ち止まっていたら、私たちは今日のような固体的な自己意識を身につけることがで
きなかったでしょう。そうしたら、私たちは自分が人間だということを、決して知ることができなかったでしょう。私たちは個我意識
を手に入れるために、神霊世界を意識できなくならざるをえなかったのです。

将来、私たちは両方の能力をともに有するでしょう。将来、だれもが個我意識を維持しながら、完全な明視を獲得するにいたるで
しょう。今日では、秘儀参入の道を歩んだ者にだけ、個我意識を保持した明視が可能です。将来は、ふたたび神霊世界を見な
がら、自分を人間・個我と感じることが、だれにも可能になるでしょう。

何が起こったのか、もう一度、思い浮かべてみましょう。心魂は受肉を繰り返します。かつて、心魂は霊視的でした。のちに、自
分は個我であるという意識がはっきりと現れてきました。自分で判断する可能性も、はっきりとしてきました。透視的に神霊世界
を見ていて、自分を個我と感じていないかぎり、人間は判断・推論できません。判断・推論という能力は、しだいに現れてきまし
た。

その代わりに、古代の霊視力は少なくなっていきました。神霊世界を見ることのできた状態のなかに生きることが、だんだん少
なくなっていきました。人間はますます物質界に入っていき、論理的思考を形成し、自分を個我と感じました。人間は外界を知覚
し、外界に関わっていきました。しかし、神霊世界との関連は、ますます少なくなりました。

ですから、「太古には、人間は一種の精神的な存在であった。人間は一個の精神的存在として、ほかの神霊存在たちと交流し
ていた。人間は、自分が他の神霊存在に属している、と感じた。それらの存在を、人間は今日、通常の感覚では、もはや見るこ
とができない」と、言うことができます。

私たちを直接取り巻く世界のほかに、別の世界、神霊世界が私たちの周囲にある、と私たちは知っています。その世界のなか
には、神霊存在たちが生きています。しかし今日、人間は通常の意識では、この世界を見ることがありません。かつては、人間
は夜の睡眠中の意識においても、いま話した中間状態においても、神霊存在たちの仲間でした。人間はその世界のなかに生
き、それらの存在たちと交流していました。

いま、人間は通常、もはやそうできません。人間は、いわば自分の故郷、神霊世界から外に出されました。そして、生まれ変わ
るたびに、ますます地球世界のなかに深く移されました。(P14-P15)


人間の心魂が、しだいに別様になる時代が始まっています。

しかし、多くの人々がそれに気がついていません。いま、私たちは新しい時代のなかに生きています。ここで始まるものは、ゆっ
くりと新しい心魂能力を人間に準備します。

この新しい心魂能力の最初の兆候は、個々人の心魂のなかで、比較的すみやかに気づかれるでしょう。およそ、1930年から
1940年のあいだです。1933年・1935年・1937年が、特に重要でしょう。特別の能力が自然な素質として、人間に現れてくるでし
ょう。

地上にいる心魂、そして、もはや肉体のなかにいない心魂にも、変化が生じるでしょう。心魂は、どこにいるかに関わりなく、まっ
たくあたらしい能力に向かって生きていきます。すべてが変化します。今日の最も重要な出来事は、人間の心魂能力の決定的
な変化です。

時が来たので、心魂から明視的な能力がおのずと芽吹き、発展していきます。

エーテル的な知覚能力を、人間が獲得できるようになります。最初は、少数の人々がその能力を獲得できるようになります。ほ
かの人々は、そのあとを追います。この能力がますます発展するのには、2500年かかるからです。

人間は、いままで知覚できなかったエーテル的なものを周囲に見る能力を有するようになるでしょう。いま、人間は物質的身体
のみを見ています。しかし人間は、すくなくとも影のようなイメージでエーテル体を見ることができるようになり、非常に意味深い
出来事をエーテル体のなかで体験できるようになります。(P24-P27)


いま、特別の修練なしにも、かすかな明視能力がふたたび発展することが可能になる時代が準備されています。1930〜1950
年ごろ、「人間の周囲に、明るい光のようなものが見える」という人々が現れます。

注目すべき内容を含んだ夢のイメージのようなものが自分のまえに現れるのを見るようになる人々もいます。これらの人々が行
為すると、なにかがイメージのように心魂のなかに現れます。そのイメージは、その人の行為の均衡が遅かれ早かれ取られるに
ちがいない、ということを示します。

この能力の現れた人が、そのことを友人に語ると、友人はおそらく「君が見たものについて知っていた人々が、いつもいた。彼ら
はそれを〈人間のエーテル体〉と言い、彼らのまえに現れる夢のイメージのようなものを〈カルマ〉と呼んでいた」というでしょう。

エーテル的な明視の時代が注意を払われずに通りすぎることのないように、精神科学が現れねばならなかったのです。エーテ
ル的な明視の時代が、脳に結び付いた悟性による思考が支配した時代と交替します。(P51)
(関連ページ) 輪廻転生とカルマ-キリストの再来