人体と宇宙のリズム




カタレプシー

しかし、このような状態が小さなかたちで、生活のなかで生じることがあります。しばしば、このような状態が生じるのです。もち
ろん、この状態が明らかになるのは、医学的な観察を行なうときだけです。精神病と言われる特定の病気になったときに、この
状態が現れます。

たとえば、以前は非常にきっぱりとした人が突然、頭が凍りついたかのような状態になることがあります。ある人が毎朝八時に
仕事に行っていたとしましょう。決まった時刻に起きていたのです。しかし突然、ベッドのなかにいつづけたくなります。起きようと
するのですが、起き上がる意志が涌いてきません。ベッドの横には、時計が置いてあります。もう時間です。やっとの思いで起き
上がります。しかし朝食をとる意欲がありません。

やがて、「私にはできない」と、いつも思うようになります。何も決断できなくなります。ついには、身体にも症状が現れてきます。
硬直するのです。かつては腕を速く動かしていたのに、ゆっくり動かすようになります。以前は跳躍選手のように駆けていたの
に、いまや重い感じで、一歩ずつ歩きます。硬直し、重くなります。これはしばしば若いころにも現れる病状です。

このような状態が、一挙に強く現れることはありません。カタレプシーになりはじめた人を、二つの椅子のあいだに横たわらせ
て、その上に座ったりはできませんが、その人は自分の身体をもはや正しく扱えません。(P18-P19)

カタレプシーの人を取り上げてみましょう。何がどうなっているのでしょう。カタレプシーの人の身体を調べると、その身体は塩分
が特別多くなっていることが分かります。特に頭がそうなっています。植物の根に似たような状態になるのです。私たちの頭が
植物の根のように塩分に富むと、頭が硬直して惚け、それが全身に広がっていきます。歩いたり、手をあげたり、ベッドから起き
上がる決意のできない人は、頭のなかに塩分が多すぎ、植物の根に似た状態になっているのです。(P31)



脳は糞だ

人間は生きているあいだ、分泌します。分泌されたものは、よい匂いがしないので、外界では好まれません。ほとんどすべての
分泌物が、よい匂いがしません。今日では、分泌物には近づかず、洗い流さねばならない、と考えられています。もちろん、それ
はまったく正当なことです。

人間の分泌物は、尿・汗・便などです。切られた爪も、人間の分泌物です。そのほか、分泌物と認識されない多くのものが、実
際は分泌物です。

目がしばしば、人間のなかの最も高貴な器官と見られます。いかに容易に目を取り出すことができるか、考えてみてください。
目は眼窩のなかで、ほとんど孤立しています。目のなかの液体も分泌物です。耳のさまざまな器官のなかにも、分泌物があり
ます。耳垢も分泌物です。人間はいたるところで分泌物と関わっています。一方で人間は構築され、他方では分解され、分泌し
ます。

それから、どうなるでしょうか。人間は神経・脳全体を、肝臓や脾臓のような器官と見なします。しかし、それは本当ではありませ
ん。脳は分泌物なのです。脳全体が分泌物なのです。

脳を何かと比較するなら、腸とではなく、腸のなかにあるものと比較しなければなりません。腸には腸壁があり、腸内物がありま
す。腸壁は波形になっています。脳・神経には壁が欠けています。壁はあるのですが、透明なので、見えません。その内容物だ
けがあります。「脳は何で満たされているか。特別な性質の腸内物で満たされている」と言うのは、まったく正しいのです。

腸内物を糞だと言うなら、脳は糞だと言うことができます。これは科学的に、完全に正しいことです。思考活動は脳によって成り
立っているのではありません。思考活動は、思考から脳が分泌・排泄されることから成り立ちます。人体を下部から上部に上る
ほど、人間は分泌物なのです。(P83-P84)
(関連ページ)死後の生活-神経系が鏡の働きをする 霊視と霊聴-脳は魂の鏡である


踊りと体操

一度、「人間は生まれてから死ぬまで、地上存在である」ということを、考えてみてください。人間は地上で働かねばなりませ
ん。しかし、いつも仕事をしていることはできません。身体が消耗したりします。

人間は身体を動かそうとしますが、地球に適したように物質的身体を動かそうとはしません。人間はエーテル体に従おうとしま
す。エーテル体は円環運動をしようとします。それで、人間は踊ります。踊るのは、人間が物質的身体ではなくエーテル体に従
おうとすることなのです。踊りたいと欲望するのは、人間が物質的身体を忘れて、自分は宇宙に属する存在であると感じること
ができる、ということなのです。

人間は内的な感情に従うと、宇宙に属したいと思い、エーテル体に従うでしょう。人間は本来、地球が欲するように動こうとせ
ず、エーテル体に従おうとします。エーテル体が欲する動き、円を描く動きが大変気に入ります。ですから、人間は地球に属する
動きに慣れねばなりません。この通常の動きを、私たちは教育のなかにも受け入れねばなりません。体操です。

なぜ人間は体操をするのでしょうか。体操は、普通に地球に適応できる以上に、もっと地球に適応するためのものです。人間が
エーテル体から離れて、常時エーテル体に従うことがないように、体操をするのです。しかし人間は、宇宙からまったく切り離さ
れないために、地上に結び付かない動きもしなければなりません。

私たちは唯物論の時代に生きています。唯物論に憧れる人間は、たいてい西洋に生きています。古い文化を有する東洋人・ア
ジア人は、地球に属することに執着しません。東洋人・アジア人は、キリスト教徒よりもずっと、地上を「涙の谷」と考察します。
東洋・アジアに生きる人々は、できるかぎり早く、そっと浮世から去ろうと願います。

しかし、西洋の人間は地球を、非常に好みます。口には出しませんが、西洋人はいつまでも地上にとどまりたいと思っていま
す。

「エーテル体は、天に合った動きをしようとする。惑星は円を描いて動き、地球は円を描いて動く。エーテル体は円環運動を欲
し、物質的身体は円環から抜け出たいと思う」と、言わねばなりません。人間はたくさん仕事があると、この円から抜け出ます。
しかし、西洋の上層階級は仕事をする必要がありません。彼らは、どうなるのでしょう。

彼らには、奇妙なことが起こります。エーテル体が絶えず煩わしい思いをさせるので、彼らは居心地悪く感じます。ビーフステー
キを食べる人間が世界を歩むと、絶えずエーテル体に悩まされ、苦しめられます。そして、円環運動をしたくなります。ビーフステ
ーキを食べる人間は、エーテル体の円環運動に従おうとします。しかし、何ということでしょう。それは大変不快なのです。

エーテル体は絶えず踊ろうとし、きれいな円環運動をしようとします。ビーフステーキを食べる人は、その動きについていけませ
ん。彼は物質的身体を強くして、エーテル体に円環状にひっぱられないように、物質的身体を慣れさせようとします。こうして、彼
はスポーツをします。体操ではなく、スポーツです。

スポーツをすると、その結果、人間は完全にエーテル体から抜け出て、物質的な地球の動きにのみ従います。こうして人間は、
ますます地上に親しみ、精神界から離れます。(P69-P71)