音楽の本質と人間の音体験



オクターヴ感覚

現代を古代と比較してみると、音楽に関して現代という時代の特徴を、「現代は、二つの音楽感受のあいだに立っている」と、述
べることができます。ひとつの感受はすでにあり、もうひとつの感受はまだありません。現代多かれ少なかれ高度に達成されて
いるのは3度の感覚です。音楽的感性において、5度感覚から3度感覚への移行がいかになされたかを、歴史的に追っていくこ
とができます。3度感覚は新しいものです。現在オクターヴ感覚はまだ存在していません。この感覚は将来、現れます。本当の
オクターヴ感覚は、まだ人類のなかに形成されていません。7度までの音の感覚を、わたしたちは区別できると思います。1度と
7度の違いを感じることができるのに対して、オクターヴを聞くとまったく異なった体験が現れます。1度と区別することができな
いのです。オクターヴは1度と重なります。5度や3度には区別がありますが、オクターヴにはそのような区別がありません。たし
かに、わたしたちはオクターヴのための感覚を持っています。しかし、その感覚はまだ形成されておらず、将来達成されるもので
す。将来オクターヴ感覚は、いまとはまったく異なったものになるでしょう。将来、オクターブ感覚は音楽体験を非常に深めること
になるでしょう。音楽作品においてオクターヴを通用させるに際して、人間は「わたしは新たにわたしたちの自我を見出した。わ
たしはオクターヴ感覚を通して高まった」と、感じることができます。

現在、人間が3度体験を有しているというのは、なにに基づくのでしょうか。人間が本来のオクターヴ体験を得る途上にあるとい
うのは、なにに因るのでしょうか。人類の進化のなかに音楽体験のすべてはアトランティス時代に帰される、ということに起因し
ているのです(それ以上さかのぼることは意味がありません)。アトランティス時代の本質的な音楽体験は7度体験でした。アト
ランティス時代にさかのぼると、持続する7度のなかで、すべて調子が合っていたことがわかります(これは、今日の音楽とは非
常に異なっています)。まだ、5度は知られていませんでした。7度の上に築かれた音楽体験において、人間は完全に感極まっ
て忘我状態になるのを感じるというところに、7度体験の本質がありました。7度の体験において、人間は地上との結びつきから
解放されるのを感じました。すぐに、べつの世界に入っていくのを感じたのです。当時の人間は、「わたしは自分が霊的世界の
なかにいるのを感じる」という意味で、「わたしは音楽を体験する」と、いうことができたのです。

それが7度体験でした。この体験はアトランティス時代後までつづき、人々が7度を不快なものとして感じはじめるまで、大きな
役割を果たしました。人間が肉体のなかに入り込み、自分の肉体のなかに座を占めようとするにしたがって、7度体験が苦痛な
ものと感じられはじめたのです。そして、5度体験に大きな大きな満悦を感じ始めました。音階は当時、D、E、G、A、B、そして、
ふたたびD、Eというふうで、F、Cはありませんでした。ポスト・アトランティス時代の初期には、F感覚とC感覚はなかったので
す。それに対して、さまざまなオクターヴの音列をとおして、5度が体験されました。

5度は、時の経過のなかで、快適な、心地よい音楽的な感じになっていったのです。しかし、3度を除いて、C音を除いて、音楽
は忘我状態を体験させるものでした。音楽は人間をほかの要素のなかに移すように感じられるのでした。5度において、人間は
自分から出ていくのを感じました。3度の体験への移行は、アトランティス時代後の第4文化期まで待たねばなりません。3度体
験はまだ完全にはなく、5度体験があるのです。中国人は、現在でも5度体験を有しています。3度体験への移行は、音楽が自
分の肉体組織と結びつくのを人間が感じ、3度を体験できることによって自分を地上の人間、音楽家と感じるということを意味し
ています。それは以前は、5度体験に際して、「天使がわたしのなかで音楽家になりはじめた。ミューズがわたしのなかで語る」
と、いわねばなりませんでした。

「わたしは歌う」というのは、当時は正しい表現ではありませんでした。「わたしは歌う」といえるようになるためには、3度体験が
必要だったのです。3度を体験したことによって、人間は自分が歌うと感じはじめたのです。3度体験は音楽感受全体を内面化
するのです。ですから、5度の時代には、音楽を主観によって着色する可能性は、まったくありませんでした。3度体験がやって
くるまえは、いつも主観は客観のなかに飛翔したのです。3度体験が現れたことによって、主観は自分のなかにやすらうのを感
じ、人間は自分の通常の生活の運命感受を音楽と結びつけはじめたのです。こうして5度の時代には意味を持っていなかったも
のが意味を持ち始めます。5度の時代には、長調、短調は、まだ意味を持っていませんでした。長調について語ることはできま
せんでした。長調と短調は人間の主観、地上的身体と結合した人間の感情のいとなみと結びついています。長調、短調はアト
ランティス時代後の第4文化期の経過のなかで現れ、3度体験と結びついたものです。こうして、長調と短調の区別が生まれま
した。主観的−心魂的なものと音楽が結びついたのです。人間は音楽に、主観の色彩を与えはじめたのです。人間は自分のな
かにいる状態と、自分の外に出る状態とをくり返します。魂は外に帰依する状態と、自分の内にある状態を行き来します。こうし
て、音楽ははじめて、適切な方法で人間に引き寄せられたのです。「アトランティス時代後の第4文化期の経過のなかで3度体
験が始まり、同時に、長調の気分、短調の気分を音楽のなかに表現する可能性が生まれた」ということができます。現在でもわ
たしたちはこの状態にあります。
(関連ページ) 芸術と美学-7度、5度、3度