民族魂の使命






民族とは何か

民族とは、ある一柱の大天使によって導かれる人々のグループのことです。民族の成員の各々は、民族の一員としてなにをお
こなうべきかについて、大天使から霊感を得るのです。地上の人間が各々異なっているように、個々の民族霊はそれぞれ異なっ
ています。さまざまな民族グループそれぞれのなかに、アルヒアンゲロイ(大天使)は個的な使命を有していることがわかりま
す。世界史のなかで民族が民族につづき、また民族が民族にならんでいることを霊的に説明すると、そこに生起することはすべ
て霊的存在から霊感を受け取っていることを、少なくとも抽象的な形では表象できます。(P26-P27)


民族のオーラと土地のオーラ

地表の様子は、地域によって異なっています。地上のさまざまな場所に、民族の特徴、民族の個性を発展させるさまざまな条
件が与えられています。その地方の気候、植物相、水などが、その他のものとならんで、民族の特性、民族の特質に現れてい
るものの決定的な要因である、と外的−唯物論的な意識は語ります。物質的な意識、物質界の意識がそのように語るのは、驚
くにあたりません。物質界の意識は、目で見ることのできるものしか知らないからです。霊視的意識にとっては、まったく異なっ
ています。霊視的な意識をもって地上のさまざまな地域を歩きまわる者は、それらの土地の植物の物質的な姿、岩石の配列の
なかには、その地域について知りうることがらのすべてが語り尽くされていないことを知っています。唯物論的な意識のために、
その地方独特の香り、その地域のオーラについて抽象的に語ると、ふたたび理解されやすくなります。霊視的意識には、それぞ
れの地域に独特の霊的な雲の姿、その地域独特のエーテル−オーラが映ります。スイス、イタリア、ノルウェー、デンマーク、ド
イツで、そのエーテル−オーラは、まったく異なっています。人間がそれぞれ独自のエーテル体を持っているように、地上のそれ
ぞれの地域は独自のエーテル−オーラを有しているのです。

このエーテル−オーラは、人間のエーテル体のオーラとは本質的に異なっています。人間のエーテル−オーラは、人間が生き
ているあいだ、すなわち生まれてから死ぬまでのあいだ、その人間に結びついています。人間のエーテル−オーラは、いわば
物質体に結びついており、人間が知性、道徳性などに関して進歩を遂げることによってのみ変化していきます。人間のエーテル
−オーラは、内面から変化していきます。内面から輝くものを取り入れるのです。さまざまな地域に知覚されるエーテル−オーラ
は異なっています。その地方のエーテル−オーラには、たしかに基調があり、長いあいだ持続します。しかし、このエーテル−
オーラのなかには、素早い変化も見られます。人間のエーテル体のオーラは内面からゆっくりと変化しますが、土地のオーラに
は素早い変化も見られるのです。これが、土地のエーテル−オーラと人間のエーテル−オーラとのちがいです。さまざまな地方
のオーラは、人類の歴史のなかで、民族が土地を捨て、ほかの場所に移住すると変化するのです。土地のエーテル−オーラの
ありかたは、その土地から発するものだけではなく、どのような民族がその土地に居を定めるかにもよるという特徴があります。

人間の運命の真の姿を追究しようとする者は、その地域のエーテル−オーラの絡み合いを追究します。民族移動のころのヨー
ロッパのエーテル−オーラは、いまとは非常に異なっていました。このことから、ある地域のエーテル−オーラは変化するもので
あることが、おわかりになると思います。ある地域のエーテル−オーラは突然変化しうるものであり、その変化はある意味で外
からもたらされうるのです。ある地域のエーテル−オーラは、その土地に由来するものと、民族の移動によってもたらされるもの
との合流なのです。(P35-P37)

さまざまな地方のオーラは、人類の歴史のなかで、民族が土地を捨て、ほかの場所に移住すると変化するのです。土地のエー
テル・オーラのありかたは、その土地から発するものだけではなく、どのような民族がその土地に居を定めるかにもよるという特
徴があります。
P36-P37


民族は枝分かれすることがある

ドイツ民族と共通の基盤を持っていたオランダ民族が分離したのは、そのような事情からでした。オランダとドイツは本来、共通
の大天使を有していました(P69)

スペイン民族とポルトガル民族は、ひとつの民族を形成していました。(P70)



地球の力

アフリカでは、地球の力が幼年期の特徴を表現しています。アジアでは、地球の力が青年期の特徴を表現しています。ヨーロッ
パでは、地球の力は熟年の特徴を表現しています。これは、ひとつの法則です。人間は輪廻転生をとおして、さまざまな人種に
受肉していきます。ですから、だれかがヨーロッパ人は黒人や黄色人種よりも優れている異議を唱えようとも、実際は、そのよう
なハンディキャップは存在しないのです。(P87)

ヨーロッパ人が侵入してきたのでインディアンは滅びたのではありません。インディアンは死へと導く力を受け取らねばならなか
ったので滅びたのです。(P88)



サタン=アーリマン

しだいに自我を目覚めさせる使命を持っている地上の人間の進化に、二つの力が関与しています。レムリア時代以来、人間の
内面、アストラル体のなかにルシファー的な力が関与しています。ルシファー的な力は、人間の欲望、衝動、情念のなかに忍び
込むことによって、人間を攻撃します。そのことをとおして、人間は二つのものを獲得しました。

第一に、独立した、自由な存在になる能力を得ました。自分が考え、感じ、意志することに熱狂する能力を得ました。ルシファー
の介入がなければ、人間は神的−霊的な力に導かれるだけだったでしょう。しかし同時に、人間はルシファーの力によって、衝
動や欲望や情念をとおして悪に陥るはめになったのです。ルシファーは、人間のアストラル性の舞台である人間の内面を攻撃す
ることによって、地球存在に介入するのです。

アストラル的なものが組み込まれている自我も、ルシファーの力に浸透されてます。ルシファーについて語るのは、人間を物質
的−感覚的存在のなかに沈めるものについて語ることです。つまり、人間のなかの最良のものである自由と、もっとも危険なも
のである悪への可能性を、人間はルシファー的な力に負っているのです。

ルシファー的な力が人間本性の組織全体のなかに介入したことによって、ルシファーが人間組織に介入しなかったなら生じてい
なかったはずの力が人間本性のなかに入り込むことができました。もし人間がルシファーの影響下に置かれていなければ、人
間は世界をいまとはちがったふうに見ていたことでしょう。そして、ルシファー的な力にさらされるようになったあと、もうひとつの
力にさらされなかったら、人間は世界をまたちがったふうに見ていたことでしょう。

アーリマンが外からやってきて、人間を取り囲む感覚界のなかに忍び込みました。アーリマンの影響は、ルシファーの影響の結
果なのです。人間はルシファーによって内面から攻撃されます。そして、その結果として、人間は外から働きかけるアーリマンに
攻撃されます。

ほんとうに事実を知っている、あらゆる時代の精神科学は、ルシファー的な力とアーリマン的な力について語ってきました。神話
的に表現されている、さまざまな民族のものの見方において、ルシファーとアーリマンについて、その両者についてのはっきりし
た意識がいつもおなじようにあったのではないということは、非常に注目すべきことです。

たとえば、旧約聖書、セム族の伝統から宗教的な見解が形成されたところには、この二つの力についてのはっきりとした意識は
ありません。旧約聖書に登場する蛇は、ルシファーにほかなりません。そのことから、ルシファーが進化に関与したことについて
の意識は存在したことがわかります。聖書と類縁関係にある伝統すべてのなかに、この意識ははっきりと存在しています。しか
し、アーリマンの影響についての意識は、おなじようには存在しません。精神科学が教授されていたところにのみ、アーリマンの
影響についての意識がありました。そのために、福音書の著者は、アーリマン的な力も考慮しました。

マルコ福音書には、荒野での誘惑(1章12−13)についての話でないところでは、「デーモン」について語られています。「デーモ
ン」という言葉はキリシア語から採られたものです。アーリマンについて語られるときには、「サタン」という言葉が使われました。
マルコ福音書、マタイ福音書に出てくる、この二つの言葉の重要な区別に注意を払っている人はどれくらいいるでしょうか。顕教
的な人は、そのような微妙なことがらをまったく考慮しません。外的な伝統のなかには、このような区別はないのです。(P172-
P175)
(関連ページ) 悪の秘儀-サタンの別名


民族霊と自我の変容

イギリスで議会政体がはじまったのは、意識魂の衝動が世界史の舞台に現れたことを意味します。(P197)



万里の長城はアトランティスの思い出として築かれた

アトランティスの文化を保管し、それをアトランティス後の時代の人々にもたらした文化が、ほかにもあります。インド人はエーテ
ル体に近づき、エーテル体から、エーテル体の力をもって偉大な文化と精神生活を創造しました。もうひとつ、アトランティス文化
に由来する文化で、アトランティス後の時代に持ち込まれた文化があります。その文化はエーテル体意識のべつの面を形成し
ました。中国文化です。この関連に注目し、アトランティス文化が先に述べた「偉大な霊」と直接的な関係を持っていることを思い
出してもらえれば、中国文化の特徴が理解できます。この文化は、世界進化の最高段階との直接的な関係を持っていました。
インド文化と中国文化が、アトランティス後の時代において衝突、対立したことも、理解できるでしょう。進化の可能性を持ったイ
ンド文化と、アトランティス時代にあったものをくりかえし、新しいものを拒んで硬直した中国文化です。

中国の発展を観察すると、オカルト的−学問的−詩的な印象を受けます。あらゆる方向に築かれた中国の石塀は、アトランティ
ス後の時代に発展したものを遠ざけています。中国の石塀は、詩的−オカルト的な感じがします。今日の学問的な研究成果と
比較すると、いま述べたことがいかに事実を解明するものであるかがわかります。

アトランティス大陸を霊視的に考察してみましょう。アトランティス大陸は今日のアフリカおよびヨーロッパとアメリカとのあいだの
大西洋にありました。アトランティス大陸は暖流に囲まれていました。奇妙に聞こえるでしょうが、霊視意識に明らかになるところ
によると、その流れは南から北へ、バフィン湾を通ってグリーンランドにむかって行き、グリーンランドを囲むように東に向かってい
きました。そして、シベリアやロシアがまだ海中にあったころ、しだいに冷えていくその流れはウラル地方を下り、方向を変えて、
東カルパティア山脈に触れ、今日のサハラ砂漠のほうに流れていきました。そして、ビスケー湾のところで大西洋にいたりまし
た。このように一巡する流れでした。この流れの名残が、メキシコ湾流です。

ギリシア人においては、心のいとなみはもっぱら思い出であることが理解できるでしょう。ギリシア人に、アトランティス時代の思
い出であるオケアノスのイメージが現れてきました。ギリシア人の世界像はアトランティス時代から取って来られたものであり、
それほどまちがったものではありません。

スバールバル諸島を越えて下っていく暖流はしだいに冷えていきます。この一巡する流れを中国人は、石塀で囲まれた、アトラ
ンティス時代から保持された文化のなかに形式的に再現したのです。歴史というものは、アトランティス時代にはまだありません
でした。ですから、中国文化も非歴史的な性格を持っているのです。中国に、インド以前の、アトランティスに由来するものがある
のです。(P200-P201)




訳者あとがきより

1920年12月12日のドルナッハにおける講演、および1921年1月6日のシュトゥットガルトにおける講演で、シュタイナーはつぎの
ように述べている。16世紀にヨーロッパ人に征服されたアメリカ・インディアンの魂の大部分は、とくに第一次世界大戦前に西ヨ
ーロッパ、中部ヨーロッパからロシアにいたる地域に転生した(紀元後数世紀のあいだ南ヨーロッパから北アフリカに生きた人々
の魂の一部も西ヨーロッパ、中部ヨーロッパからロシアにいたる地域に転生している)。4世紀から6世紀にかけて中部ヨーロッパ
に生き、南から到来したキリスト教を受け入れた人々の魂は、とくに第一次世界大戦前にアジア、とくに日本に受肉した。ゴルゴ
タの秘儀当時、およびそれ以前に北アフリカから西南アジアに生きた人々の魂は、今日アメリカとイギリスに生まれ変わってい
る。(P236)