身体と心が求める栄養学




ミツバチと人間

「昔の田舎の養蜂家のあいだでは、養蜂業者とミツバチとのあいだに心魂的な関係がある、と確信されていた。養蜂業者が死
ぬと、その死はすぐにミツバチたちに告げられねばならない。告知がなされないと、翌年、ミツバチの群れすべてが死ぬ。何らか
の心魂的な関係があることが、経験から示唆される。怒った状態でミツバチ仕事に取りかかろうとすると、落ち着いた調和的な
心魂の気分で仕事をするときよりも、よくミツバチに刺される。このような昔の養蜂家の見解は、事実に基づいているのだろう
か。

チューリッヒで、ある家庭の婦人が亡くなった。彼女は養蜂の仕事よくした。彼女の死後、一年のうちに、ミツバチすべてが死ん
だ。バーゼルで、養蜂の仕事をよくした婦人が亡くなったときも、まったく同じことが起こった。そこでは一年のうちに、28のミツバ
チの群れが6つの群れに減った。ここにはどのような関連があるのか、ミツバチとどう関連しているのか、説明できない。ミツバチ
が病気に罹っていたということはなかった。おそらく、心魂的な関係があるのだろう」

このような質問をいただいております。

ミツバチの群れのなかに入っていき、どうしようもない不安を感じた、としてみましょう。私たちが不安を抱いていることを、ミツバ
チは感じ取ります。不安になるとは、どういうことでしょう。

人間は不安になると、青ざめます。青ざめると、血液が後退します。血液は皮膚のほうに向かいません。不安を抱いた人にミツ
バチが近づくと、血液が皮膚のなかにあるときよりも、六角形に作用する力を感じ取ります。そして、そこから蜜あるいは蝋を得
たい、とミツバチは思います。人間が平気で、血液が落ち着いて血管を流れているなら、ミツバチはまったく別なふうに感じま
す。血液が六角形に作用する力を有することに、ミツバチ気づきます。

さて、怒ってミツバチのいるところへ行くとしましょう。怒ると、人間は赤くなります。血液がたくさん皮膚に向かいます。血液は六
角形に作用する力を受け取ろうとします。それをミツバチは繊細な感情によって気づき、その力を人間がミツバチから奪い取ろう
としていると思って、人間を刺します。外界に躍動する自然の力を繊細に感受するのです。

そして慣れが加わります。養蜂家は、普通の人のように、単にミツバチの巣に行くのではありません。こう表現してよければ、ミ
ツバチは養蜂家が発散するものを感じます。ミツバチは、それに慣れます。

その人が死ぬと、ミツバチは新しい環境に慣れねばなりません。これはミツバチにとって、大変なことです。犬の場合を考えてみ
てください。飼い主が死ぬと、ある犬はその墓に行って、そこで死にました。別の飼い主馴染めなかったからです。

精妙な化学的感覚を持つミツバチはすべてを知覚する、と仮定できないでしょうか。ミツバチは養蜂家に親しんでおり、ほかの養
蜂家には馴染めないのだ、と考えられないでしょうか。意味深いことが根底にあるのです。

「犬や馬の場合と同じことが、小さな生物・昆虫にも言えるのか」と、みなさんは思われるかもしれません。

みなさんは、つぎのようなことを観察したことがないでしょうか。実際にあることです。花の栽培が特別うまい人がいます。その人
が花を鉢に植えたり、植物を栽培すると、すべてが繁殖します。ほかの人が世話をすると、何も咲きません。自分の発散するも
のが花に好ましく作用する人と、好ましく作用しない人とがいるのです。花を栽培してもうまくいかない人が、たくさんいます。好
ましくない作用は特に、花のなかで蜜を生産する力、花を甘くする力に及びます。「人間は花に作用を及ぼす。まさに人間は花
に作用を及ぼすのだ」と、言うことができます。

驚く必要はありません。事実に当たってみなければなりません。そうすれば、実際にそうであることが分かります。実践において
も、これを顧慮できます。(P34-P39)