新しい建築様式への道







馬は透視能力なしには人間を観ることができない

人間が世界を見ているように、動物も----高等動物もまた----世界を見ていると信ずることは無意味なことです。しかしこの点
に関して現代人は正しいことを全く理解できないでいます。現代人は、彼が馬の傍に立つとき、彼が馬を見るのと全く同じように
馬も彼を見ていると信じています。馬が眼を持っているからといって、人間が馬を見るように馬も人間を見ていると信ずることは、
現代人にとってはごく自然なことです。それでもやはりそれは馬鹿げたことです。何故なら人間は透視能力なしには天使を観る
ことはできませんが、同様に馬も透視能力なしには人間を観ることはできないからです。何故なら馬にとっての人間は単に物質
的に存在としてそこに居るのではなく、精神的存在としてのみそこに居るからです。馬はある特定の透視能力に恵まれているが
ゆえに、馬にとっては天使のような人間存在を知覚することができるのです。馬が人間の中に見るものは、私たちが馬の中に見
るものとは全く別物です。歩き回る私たち人間は高等動物にとってもまさしく幽霊のような存在なのです。もしいつか動物が固有
の言葉を、つまり人々が今日動物に《語ら》せるようにではなく、その固有の言葉で語ることができるならば、動物は人間を自分
たちと同等の存在者と看做すことは決してなく、自分たちよりも高等なもの、霊的な存在と看做すであろうことを人間はきっと理
解するでしょう。動物たちが自分の肉体を血と肉から成り立つと考えたにしても、彼らは決して人間を血と肉から成り立つとは考
えないでしょう。(P214)