人間の四つの気質


 
 
現代の男性の正装は精神病院を思わせるものになっている

文明人は唯物論に引きずられて、人間の超感覚的部分に対する感覚を、まったく失っています。文明人は地上的な悟性によっ
て考え、「地上的な悟性がすべてに勝る」と考えています。ですから私たちは、自分の着ているものがある程度しか人間的に見
えないことに対して、もはや感受性を持っていないのです。男性はズボンをはいています。脚を筒のなかに入れているのです。
ズボンというのは、世界のあらゆる衣服の最も装飾性のないものでしょう。さらに、特別上品にしたいときは、頭にシルクハットを
かぶります。

古代ギリシア人が生き返って、脚を二本の筒のなかに入れた人間、そればかりか頭にはシルクハットをかぶった人間を見たらど
んな顔をするか、思い描いてみてください。しかも、ズボンもシルクハット黒なのです。ギリシア人は、「これは人間だ」とは思わ
ないでしょう。「とんでもない妖怪が現れた」と、思うはずです。このことに注目しなくてはなりません。

そして、すでに十分醜い上着に、まったく抽象的に布切れを裁断して、燕尾服と呼んでいるのです。燕尾服は、人間がいかに無
思慮になったかを存分に示しています。燕尾服を着用することに慣れているため、また人と同じようにしないと変人、奇人とみな
されるために、人と同じにしているのです。しかし、「男性の服装、特に正装の場合、すでに精神病院を思わせるものになってい
る」ということを知るべきです。これは、人間が現実からまったく遊離していったことを示しています。

多くの男性が、女性は男性よりも非文明的であると信じていますが、女性は服装において、いくらか根源的な姿にとどまってい
るのです。今日、女性の服装を男性の服装に似たものにする傾向も出てきていますが、それは幸いなことではありません。
(P90-P92)

現代の服は色彩豊かではありません。なぜ色彩が失われたのでしょうか。超感覚的なものは、色彩によって最もよく表現されて
います。色彩を喜ぶ人は、超感覚的なものを把握するのに適しています。今日では灰色、できるかぎり色彩を排除した色が好ま
れます。「夜には、どの猫も灰色に見える」ということわざがあります。そもそも現代人は光、つまり霊的な光を見ないのです。現
代人には、すべてが灰色になったのです。そのことが、衣服に表されたのです。
(P99)


地球の自転の原因

自我のリズムに関して、あらゆる神秘学において伝授されてきたものが明らかになります。それは、今日では空想的な夢想と思
われていますが、じつは本当のことです。太古には、地球は地軸を中心に回転してはいませんでした。軸回転は、時間の経過
のなかで発生したのです。人間が地上で、いまとは異なる状態にあったころ、軸回転はありませんでした。

最初に回転しはじめたのは、地球ではなく人間でした。人間が仕える神々によって、自我は回転するように刺激されたのです。
人間の自我は地球を道連れにし、地球を自転させました。地球の自転は、自我のリズムの結果なのです。驚くようなことです
が、真実なのです。自我へと形成された人間の精神的な部分が、自転の衝動を得たのです。そして、人間の精神的な部分は
地球を道連れにしました。

のちには、その状態が変化しました。人間は地上で自由になりました。状況は変化し、人間は周囲の宇宙的な力から自由にな
りました。しかし、もともとは、いまのべた通りだったのです。私たちの周囲にある物質はすべて、本来、神々から流出したものな
のです。神的なものが、いつも最初です。神々から、世界のあらゆる位置関係が流出したのです。(P157-P158)


瞑想(メディテーション)と集中(コンセントレーション)の意味

目の見えない人を思い描いてみましょう。みなさんが目によって周囲に知覚する色彩や形態が、その人にとっては存在しませ
ん。その人は、色彩と形態に関して眠っているのです。そもそも人間は全体的に眠ることはなく、何かの部分に関して眠るだけ
です。

アストラル体と自我から成る存在でありつつ、心魂的−精神的な知覚器官を持たない人を思い描いてください。その人は精神的
なものすべてに関して眠っています。夢のない眠りの意識のなかで、人間はそのような状態にあるのです。

瞑想と集中には、霊的な目と耳を、アストラル体と自我組織のなかに植え付けるという意味があります。そうして人間は、豊かに
存在するものを見はじめます。霊的に知覚するのです。通常の意識においては見過ごすものを、霊的に知覚するのです。知覚
器官を、瞑想と集中によって内的に揺り起こさなくてはなりません。自分のなかにある未組織のものを、組織化しなくてはなりま
せん。そうすると、精神世界が見えるようになります。目と耳を持って物質世界にいるように、霊眼と霊耳を持って精神世界のな
かにいるようになります。それが本物の秘儀参入の認識です。外的な方策によって、精神的なものを見るのに適したように、人
間を改造することはできません。普段は未組織な内面を組織化することによってのみ、精神的なものを見るのに適した者になれ
るのです。

人類進化のどの時代にも、秘儀参入への努力がありました。その努力は、ただ15世紀から現代にいたる粗雑な唯物論の時代
にのみ中断されています。唯物論の時代には、秘儀参入とは本来どういうことなのかが忘れられており、「自分の知りたいこと
すべてに、秘儀参入なしに到達したい」と思われています。そして次第に、「物質界のみが自分に関係する」という信仰を持つよ
うになっていきます。

しかし物質界とは、本当のところ何なのでしょう。単に物質界としてのみ知るなら、本当に物質界を知っていることにはなりませ
ん。常に物質界の内にある霊性(精神)も知ることによってのみ、物質界を本当に認識し、理解できるのです。その認識へと人類
はいたらねばなりません。(P185-P187)


古代と現代

精神世界を洞察できるようになるために、人間の能力を発展させる試みがいつもなされてきました。それには、さまざまな条件
がありました。人類進化の遠い過去であるカルデア時代(紀元前7世紀以前)に遡るか、そこまで遡らずとも、ダンテの師匠ブル
ネット・ラティーニ(1210年-1296年)が生きていた時代まで遡ってみましょう。当時は、人間が今日のように、肉体およびエーテル
体(生命体)と緊密に結び付いていなかったのが分かります。今日では、人間は肉体とエーテル体のなかに深く入りこんでいま
す。そのような教育を受けてきたので、人間は肉体とエーテル体のなかに嵌まり込まざるをえないのです。

永久歯が生えるまえに読み書きを学ばなくてはならないなら、人間はどのようにして神霊と交流できるでしょうか。読み書きは人
類進化のなかで、物質的な必要から発明されたものです。天使や霊魂は読み書きができません。物質界で発明されたものに
自分を適応させるなら、肉体およびエーテル体から抜け出るのが困難になります。

現代人は、肉体およびエーテル体から切り離されたとき、何も体験できません。そのように、現代の文化は形成されたのです。
私は現代文化に毒づくつもりはありません。現代文化を批評するつもりもありません。現代文化は、現在のような形でなくてはな
らなかったのです。この文化は到来しなくてはなりませんでした。

古代には、アストラル体(感受体)と自我は、昼間も今日よりもずっと肉体およびエーテル体から独立していました。古代の秘儀
参入は、そのような独立状態を前提にするものでした。太古には、ほとんどだれでも秘儀に参入できました。だれでも秘儀参入
者になれました。はるかな過去、原インド文化、原ペルシア文化においてです。

ついで、肉体とエーテル体から容易に抜け出る人々、自我とアストラル体の独立性が比較的大きな人々を選び出して、秘儀に
参入させる必要のある時代がやってきました。人間はこのような条件に依存しているのです。

だれもが秘儀参入に向けて努力することは、なんとか可能でした。しかし、大いなる成果は、該当者の自我とアストラル体がど
れほど独立しているかに依存していました。「人間の体質」に依存していたのです。(P187-P189)