心理学講義





回想と眠り

通常の意識においては、人間はほんとうの自我を有してはいません。通常の意識において、人間はどのようなかたちで自我を
有しているでしょうか。わたしは、つぎのような比較をしなければなりません。

人生を記憶のなかで顧みると、一貫した流れが現れます。しかし、それが人生ではありません。人生を今日の目覚めまで見渡
すと、そこには空虚な場があり、過去の意識内容が閉じ込められています。わたしたちが回想において観察するもののなかに
は、わたしたちが意識的に体験したのではない状態、現在の意識内容には入っていない状態も含まれています。そのような状
態は、べつのかたちで意識内容のなかに含まれているのです。

もし、まったく眠らない人間がいたとしたら、その人は回想することができないでしょう。回想は、その人の目を眩ませることでしょ
う。その人は、回想として自分の意識の前に据えられるものすべてが、まったく見知らぬものとして目も眩むばかりに輝くのを体
験することでしょう。その人は圧倒され、意識は遮断されることでしょう。自分を自分のなかで感じるということは、決してできない
でしょう。

回想のなかに眠りの状態が入り込んでいることによって、回想はいくぶん暗くなるのです。そのために、わたしたちは回想に耐
えることができます。そのために、わたしたちは記憶に対して自分を主張することができるのです。わたしたちが思い出のなかで
気を失わずに自己を主張できるのは、ひとえに、わたしたちが毎夜眠るからなのです。いまお話したことは、人生を経験的に観
察することによって、比較的よく確かめることができます。

回想するなかで内的な活動を感じるように、本来わたしたちは自我を、わたしたちの身体全体から感じます。わたしたちは、継
続する記憶のなかの闇の空間として眠りの状態を知覚するように、自我を感じます。わたしたちは通常の意識で自我を直接知
覚するのではなく、ただ眠りの状態を知覚するように知覚するのです。

しかし、わたしたちがイマジネーション意識を獲得することによって、この自我がほんとうに現れます。この自我は、意志的な性
質のものです。世界を共感あるいは反感をもって感じるわたしたちのなかの感情、わたしたちのなかで意志へと活性化されるも
のは、起きているときに生じるプロセスに似たプロセスを生じさせます。すでにお話した特性を、目覚めと入眠において発展させ
ると、それを平静に観察することができます。(P44-P46)