カルマの開示
彗星
彗星が地球を照らすとき、その背後にも霊的なものが働いています。どのような霊的なものをハレー彗星は示しているか、わた
したちは述べることもできます。ハレー彗星は、唯物論への新たな衝動を外的に表現するものです。地球圏内に来るたびに、ハ
レー彗星は唯物論への新たな衝動をもたらします。
唯物論への精神的衝動は、ハレー彗星の接近と平行して生じます。その衝動を証明することができます。1835年におけるハ
レー彗星の接近につづいて、19世紀後半の唯物論の流れが生じました。そのまえにハレー彗星が接近したときには、フランス
百科全書派の唯物論的啓蒙運動が起こりました。ハレー彗星の接近と唯物論の興隆とのあいだには関連があるのです。(P42)
ルシファー
「地球」進化において初めて、わたしたちがルシファー的存在に感謝しなければならない出来事が生じました。ルシファー的存在
たちがわたしたちを導いて、危機的な時代にわたしたちを地球から去らせたのです。「地上に危機的な時期がやってきた。君た
ちは地球から去らねばならない」と、ルシファー的存在たちはわたしたちに語ったのです。
ルシファー的存在たちは、当時のわたしたちのアストラル体のなかに、悪の可能性への衝動と同時に、自由の可能性をもたらし
ました。そのルシファー的存在たちが、わたしたちを導いて、地球から去らせたのです。当時、わたしたちが地球から去っていな
かったなら、わたしたちは当時創造された形姿に束縛されたままだったでしょう。(P71)
ルシファーの進入
「地球」進化のある時期に、ルシファー的な力が人間の進化のなかに入ってきたことを、わたしたちは知っています。ルシファー
的存在たちは「月」進化において進化から取り残され、「地球」進化の正規の地点に達していませんでした。このことをとおして、
人間のアストラル体に、自我が適切なしかたで働きかけるまえに、ルシファー存在たちから流れ出たものが植えつけられまし
た。そのために、ルシファー的存在の影響は、とくにわたしたちのアストラル体に作用するものでした。その影響を、人間はアスト
ラル体に受けつづけています。
このルシファー的影響は、人間の発展に「さまざまな意味を持っています。きょうの話の関連からいって大切なことは、人間はル
シファーの力を受け入れたことによって、ルシファーの影響がなかった場合よりも善良でなくなったという点です。ルシファーの影
響がなかった場合よりも、人間は激情や情念や欲情から行動するようになりました。この影響の結果、人間はその影響がなか
った場合よりも深く欲望世界に没頭することになりました。人間はその影響がなかった場合よりも深く地上世界に巻き込まれる
ようになりました。ルシファーの影響がなかった場合よりも深く、人間はルシファーの影響によって身体のなかに進入し、自分を
身体と同一視するようになりました。
もしルシファーの影響がなかったならば、人間が地上でさまざまなものを望むように誘惑するものは存在しなかったでしょう。人
間は誘惑の影響を受けずに、生きていったことでしょう。ルシファーの影響をとおして、外的な感覚世界への誘惑が生じたので
す。この誘惑を、人間は自分の内に受け入れました。自我をとおして与えられた固体は、ルシファー原則から発する作用に浸透
されました。人間は最初に受肉したときにルシファー原則の誘惑に陥り、その誘惑をのちの人生に伴っていきました。つまり、人
間がルシファー原則の誘惑に陥ったことが、人間のカルマの一部となったのです。(P118-P119)
マラリア、ジフテリア
ある人物が欲界期に、生前にあまりにも強固な自己感情、あまりにも強固な自負から行為したことを目にするとします。そうする
と、その人物は自分の自己感情を和らげ、弱めねばならないと思います。物質体、エーテル体、アストラル体は、自己感情が身
体のなかで障害を感じることのない来世を求めます。そのための条件は、その人物がマラリアにかかることによってもたらされま
す。
欲界期における体験をとおして人間が、病気を克服し、自然治癒力を発展させることによって人生を向上させる力を得るために、
いかにさまざまな病気になる機会を探求するかを示す多くの例をあげることができます。
激情から行動した人間は欲界期に、激情の影響下におこなった行動を体験する、とお話ししました。その結果、来世においては
身体のなかで、激情による行動を克服し、前世の行為を埋め合わせるものを体験しようという傾向が生じます。さまざまな感情
のほとばしり、激情からの行動によるカルマのもつれがある場合は、とくにジフテリアにかかります。(P116-P117)
死の原因
ルシファーの影響がカルマ的な原因となって、人間が死ぬようになったことがわかります。(P264)
物質の本質は光である
「地球存在の基本物質とはなにか」という問いに対して、精神科学は「地上のあらゆる物質は凝固した光である」と答えます。な
んらかのかたちで凝固した光でない物質存在というものは存在しません。ですから、事実を知っている者は、19世紀に現れた
振動仮説のような理論を打ち立てることはありません。振動仮説においては光を、光よりも粗雑な手段をもって提示しようと試み
られています。光は、物質存在のなかのなにかべつのものに還元されることはありません。わたしたちが物質に触れるところす
べてに、凝縮、圧縮された光があるのです。物質の本質は光なのです。(P278)
ペルシア戦争の意味
さまざまな問いが生じることでしょう。まず、「人間が共同生活のなかでおこなうこと、共同体のなかでおこなうことは、個人のカ
ルマとどのような関係にあるのか」という問いが生じます。この問いに関しては、すでに触れました。たとえばペルシア戦争のよ
うな歴史上の出来事を振り返って見ると、その戦争が個々人の人生の書に記されているものを示しているとは思えないでしょ
う。ペルシア戦争を指揮した人々のこと、ペルシア戦争で犠牲になった人々のことを考えてみましょう。ギリシア軍の指導者たち
から個々人の兵士にいたるまで人々がおこなったことを考えてみましょう。このような出来事を理性的に考察してみると、彼らが
おこなったことは、彼らの個々の個人的なカルマの口座に書き込まれうるものでしょうか。そのようなことは不可能です。ひとつ
の民族全体あるいは文明人の大部分に関連する事件に際して、個々人の個人的カルマ以外のものは生じなかったと考えること
は不可能です。歴史の経過のなかで生じた事件を追っていくと、そこには人類の進化にとって意味を有するものが見出されます
が、それらの事件は個々人の個人的なカルマとひとつのものではありえません。
ペルシア戦争という事件を取り上げて、「この事件は人類の進化の歩みにとってどのような意味があったのか」と、問うことはで
きます。東洋において、偉大で強い光の面を有した文化が発展しました。しかし、どのような光にも影がつきものです。ですか
ら、東洋の文化全体が、人間の進化のなかに継承されるべきでない影の面をも内に含んでいたということを明らかにしておかね
ばなりません。東洋が有した、そのような影の面は外的な、純粋に物質界に存在する権力手段によって拡大していきました。こ
のような拡張衝動がなければ、東洋文化は成立していなかったでしょう。
ひとつのことは、べつのことを必要とします。人類が進化できるために、たとえばギリシア文化は、まったくべつの前提から進化
しなければなりませんでした。ギリシア文化はギリシア文化として直接スタートしたのではなく、その前提をどこかから得なけれ
ばなりませんでした。ギリシアから東洋に渡っていった英雄たちについてのさまざまな伝説は、ギリシアの学院の弟子たちが東
洋に渡り、東洋文化のなかでのみ得られうるものをギリシアにもたらしたことを示しています。それらは、ギリシア民族の性格と
才能から形成されたものをとおして、さらに育成され、変容していきました。しかし、そのためには、もたらされたものから影の面
を捨て去らねばなりませんでした。純粋に外的な権力手段によって西洋に拡張していく衝動という影の面です。ギリシア文化よ
りものちに発生したローマ文化、およびヨーロッパ人類の進化にとっての前提すべては、ギリシア人が東洋文化の発展のため
の自由な土壌を形成し、ペルシア人およびペルシア人に属するものを撃退していなければ、形成されえなかったことでしょう。ア
ジアで作られたものは、アジア人が撃退されたことによって、濾過されたのです。
この観点から世界の進化の多くの出来事が考察できます。そして、独特のイメージが得られます。今後の連続講義(『民族魂の
使命』)で、人類の進化におけるプランといえるものが明らかになるでしょう。そのようなプランを概観すると、「このプランは実行さ
れねばならなかった。そこには影の面があり、その影の面は除去されねばならなかった。ある民族が達成したものが他の民族
に移行し、さらに形成されていかねばならなかった」と、思われます。(P300-P302)
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