農業講座




人は栄養をどこから摂取しているのか

私が昨年ペンメンマウルではじめて明らかにしたことは、非常な重要性をもっています。実際人びとは今日、人間や動物がどの
ようにして自分に栄養を与えているかについてさえ、まったく何も知っていません。ましてや植物についてはなおさらであります。

人びとは栄養というものは、人間が自分の周囲にある物質を食べることだと信じています。すなわち、人間は物質を口の中に放
りこむ、物質は胃の中に入り、ここで一部分が吸収貯蔵され、他の部分が出ていく、貯蔵されたものは消費され、そしてそれも
また排泄され、また補給が行われる、このように今日の人びとは、栄養摂取をまったく外面的な形で考えているのですが、じつ
はそうではないのです。人間が自分の胃をとおして摂取する栄養物によって、骨格や筋肉やそれ以外の組織が形成されるとい
うことは、徹頭徹尾人間の頭部にだけしか当てはまらないことなのです。消化器官という回り道を通って加工され、人間の体内
に広がっていくものはすべて、頭部および神経感覚系とそれに付属する器官の中に貯蔵されているすべてのものにとっての形
成素材であるにすぎないのです。これに対して、たとえば四肢組織ないしは新陳代謝器官のための物質、たとえば脚部や腕の
管状骨を作るために必要な物質や、新陳代謝ないしは消化作用のための腸を形成する物質は、けっして口および胃をとおして
摂取された栄養から作りだされるものではなく、これらは呼吸および感覚器官をとおして周囲の世界全体から摂取されるので
す。人間の内部においては絶えず、胃をとおして摂取されたものが上昇していき、頭部内で消費され、逆に頭部ないしは神経感
覚系の中で空気およびそれ以外の周囲の世界から摂取されたものは下にくだっていき、それから消化器系の諸器官と四肢とが
作りだされてくるというプロセスが生じているのです。

したがって、もしみなさんが足の親指の物質が何からできているかを知ろうと思われる場合、みなさんは食物を眺めてはなりま
せん。もしみなさんがみなさんの脳に対して、「その物質はどこから来たのだ」と問われるときには、食物を見なければなりませ
ん。けれどもみなさんの足の親指の物質を知ろうとお思いになるならば、ただしそれが感受物質すなわち熱その他を内包してい
るものではないかぎりの話なのですが----というのはこれも胃をとおして養われているからです----、これが構造的な物質で
あるかぎり、それは呼吸をとおして摂取され、感覚器官をとおして摂取され、部分的には、それどころか眼をとおして摂取されて
いるのです。そしてこれはすべて、すでに私がしばしば述べてきたように、7年間を1周期として肉体機構の中へ入ってくるので
あって、したがって人間は実質的には、四肢・新陳代謝組織つまりその肉体機構に関しては、宇宙的な実質から作りあげられ
ているのです。ただ神経感覚組織のみが、地球的ないし地上的物質から作られています。さて、みなさん、このことは基本的に
知られなければならない事柄でして、もしこれが捉えられていない場合は、人間と動物の肉体的生命はまったく理解することが
できません。しかもこれを知るための手段も方法も、今日の学問の中には何ひとつ与えられておりません。これは今日の学問を
もってしては、まったく知ることができないのです。すなわち今日の学問が今のままの方法で作業を続けるかぎり、この事実に
到達することはまったく不可能なのです。それが可能となる見込みはまったくありません。

これは十分に反省されなければならない事柄です。今日、私たちは理論と実践とをひき離してしまっています。今日の実践は、
精神をもたず、単なる習慣的業務と堕しております。

しかしながら精神に由来するものは、もしそれが本当に霊的なるものから生じるかぎり、非実践的ではなくなります。このとき、
霊的なるものは、本来的な意味において、もっとも実践的になるのです。(P30-P32)


人びとは、栄養の中でもっとも大切なのは、人が毎日食べるものであると信じていました----私があまりあからさまに言うからと
いって気を悪くしないでください----。なるほど私たちが毎日食べるものは、たしかに大切であります。しかし、私たちが毎日食
べるもののうちの大部分は、物質として体内に取り入れられ体内に保存されるために摂取されるものではないのです。そうでは
なくて、食物として摂取される大部分は、その中に保持している力を人間の体に与え、それに活力を与えているのです。そして
このようにして人間が体内に摂取した大部分の物質は、ふたたび排泄されます。したがって大切なのは、新陳代謝過程で摂取
される物質の量ではなく、食物によって、生命力を正しく私たちの体内に取り入れることができるかどうか、ということなのです。
なぜなら私たちはこのような活力を、たとえば歩いたり、働いたり、腕を動かしたりするときに必要としているからです。

これに反して自分の体をつくっていくために----人間は誰でも肉体を構成する物質を7年か8年ごとにすっかり更新します----、
すなわち体内にこうした物質を蓄積するために肉体が必要としているものは、大部分が感覚器官や皮膚や呼吸をとおして摂取
されます。つまり肉体が実際に物質的に自分の中に取り入れるもの、そして自分の体内に蓄積しなくてはならないものは、ごく
希薄な量で絶え間なく肉体の中に摂取され、肉体機構の中ではじめて凝縮されるのです。肉体はそのような物質を空気から取
り入れ、硬化させ、凝縮させ、爪や髪やその他の形に化し、そしてふたたび廃棄しなくてはなりません。しかし、口から摂取され
た栄養が肉体を通っていき、爪や垢やそれに類したものとなって、最後に廃棄されていくというふうに図式化することは誤ってい
ます。そうではなく、呼吸により、また感覚器官をとおして、ごく希薄な物質の摂取が行われており、そればかりか眼をとおしてさ
え摂取されており、それらが肉体機構を通過して排出される、と述べるべきなのです。一方、私たちが胃をとおして摂取している
ものも、また実際、たいへん大切なものであり、それらはあたかも燃料のように内的活動性をもっており、体内で働いている意志
のために、その活動源を体内に運び入れているのです。(P119-P120)