いかにして前世を認識するか




クリスティアン・ローゼンクロイツの呼び声

ある人が森を散歩しているとしてみましょう。考えに耽っていて、もうすこしで崖に落ちそうになるのに気がつきません。そのよう
なことがあります。これは、私が知っている例です。なにかに興味をひかれているので、崖に気づきません。あと二、三歩で、もう
崖から落ちてしまいます。前に進むと、転落して、人生は終わります。

危機一髪というところで、「止まれ」という声を聞きます。その声によって釘づけにされたような印象を受けます。だれかがいて、
自分を抱きとめたように思います。そして、そのように抱きとめられなかったら死んでいただろう、と思います。そう思ってまわりを
見ますが、だれもいません。

ほんとうに自己を認識する訓練をすれば、そのような体験をじつに多くの現代人がすることができます。じつに多くの現代人が、
人生でそのような体験をするのです。そのような体験をしたことがないというのではなく、十分に注意を払っていないので、見落
としているのです。いつも、いまお話ししたようなはっきりした形で生じるのではありません。それで、ふだん不注意な人は、その
ような体験を見落とすのです。

熟考された、ほんとうの自己考察においてのみ、いまお話ししたような体験が見出されます。そして、そのような体験に対してほ
んとうに敬虔な気持ちを持つと、まったく特別の感情にいたります。その日から人生を贈られたという感情、その日以来、人生を
特別の方法で用いているという感情です。「わたしはカルマ的な危機の状況にあった。そこで、人生は終わっていたのだ」と思う
なら、それはよい感情であり、記憶過程と似た作用をします。

このような敬虔な感情に沈潜すると、なにかが現れてきます。「これは、人生でしばしば体験してきた記憶表象のようなものでは
ない。これは、まったく特別のものだ」と、思います。

近代における偉大な秘儀参入者が、自分の同志になるのに適していると思った人々を吟味しているのです。わたしたちに霊的
世界を垣間見させるものは、わたしたちの周囲で生じる霊的な事実から、その事実の正しい認識から発するからです。

多くの人に聞こえる、そのような声を錯覚だと思うべきではありません。そのような声をとおして、群衆のなかから自分の同志に
なりうる者として選んだ人々に、クリスティアン・ローゼンクロイツという導師が語りかけるのです。

この、13世紀に特別の活動をした人物から、呼び声が発するのです。その呼び声を体験した人は、そのしるし、認識のしるしを
とおして、霊的世界のなかに立つことができるのです。

多くの人が、そのような呼び声に気づかないかもしれません。しかし人智学は、人々がいまはその呼び声に気づかないとして
も、のちに気づくようになるために、活動しているのです。

そのようなことを体験する人のほとんどについて、今日、つぎのようにいうことができます。秘儀参入者クリスティアン・ローゼンク
ロイツは、自分に属することができる人々に向かい合います。それは、ある受肉においてではなく、死と再受肉のあいだにおこな
われます。このことから、死と再受肉あいだに、生まれてから死ぬまでよりも重要なことが生じるのがわかります。

クリスティアン・ローゼンクロイツに属する人々は、すでに前世で定められている場合もあります。しかし、たいていの場合、その
ような決定は前世における死と現世への再受肉の間におこなわれたものです。

現在、多くの人が先程お話しした体験を持ちながら、そのことに気づいていません。それは、そのような体験がなかったからでは
なく、十分に注意を向けていないので、思い出さないのです。(P48-P53)