第五福音書




二人のイエス

三十歳の時にキリスト存在を受け入れたイエスという人物は、非常に複雑な仕方で構成されています。アカシャ年代記を読むこ
とによってのみ、なぜマタイ福音書とルカ福音書とではイエスの少年時代について異なった記述をしているのかを理解するため
の正しい手がかりを見出せます。

同情と愛を人類にもたらすことを使命とした仏陀は、肉体を捨て去った後、どうなったでしょうか。仏陀とは最後の受肉を意味しま
す。仏陀は使命を果たし終えるために、ゴータマとしての受肉を必要としました。その時以来、仏陀となった菩薩には、肉体に受
肉することは不可能になりました。

エーテル体にまで受肉することが可能なだけです。霊視者のみがこの仏陀を見ることができます。このような、肉体を持たない
形を応身と呼びます。応身の中で、かつて菩薩として受け取った使命を継続してゆくのです。キリスト事件は応身の中に活動す
る仏陀によって準備されてゆきました。

ナザレに住んでいたヨセフとマリアはイエスという子を儲けました。この子供は特別な存在でした。応身仏は「もし私が力を貸せ
ば、この子は人類を大きく前進させる可能性を肉体の中に有している。」と言うことができました。

応身を一個の閉じられた体と表象してはなりません。単なる力でしかなかったものが特別な存在となったのが応身です。私たち
の中で思考、感情、意志の能力が結びついているように、この存在組織は高次の世界で、ある固体の自我を通して結び合わさ
れています。霊視者は応身仏に属する諸存在を知覚します。

蜂の前半身と後半身は一つの薄い茎のようなものによって結びつけられています。この薄い茎が不可視のものと考えると、結び
合わさってはいないが、共属している二つの部分があることになります。蜂の巣や蟻塚にも同様の共属関係が見られます。

このような関係をルカ福音書の著者はよく知っていました。彼は応身仏がイエスの中に下ったことも知っていました。そのことを
彼は「イエスがベツレヘムに生まれた時、霊界から天使の一群が下ってきて、羊飼いたちに何が起こったのかを告げた。」と記し
ています。この瞬間、羊飼いたちはある理由から霊視能力を得たのです。

ルカ福音書に記されているイエスの系図をマタイ福音書に記された系図と比べてみると、相違が見られます。なぜ、二つの系図
が異なっているのかは、アカシャ年代記よって解明されます。

イエスが生まれたのとほぼ同じ頃、パレスティナで、やはりヨセフとマリアという名の夫婦にイエスという名の子供が生まれまし
た。イエスという名の子供が二人、そしてヨセフとマリアという名の夫婦が二組いたのです。

一方のイエスはベツレヘムの出身で、両親と共にベツレヘムに住んでいました。ベツレヘムのイエスはダヴィデ家のソロモン系
の血を引いていました。ナザレのイエスはダヴィデ家のナータン系の出でした。ルカはナータン系のイエスについて語り、マタイ
はソロモン系のイエスについて語っています。

ベツレヘムのイエスはナザレのイエスとは全く違った能力を示しました。ベツレヘムのイエスは外に現れる特性を発達させまし
た。例えば、周囲の人々にはあまり理解できないものではあっても、このイエスは生まれるとすぐに話をすることができました。
ナザレのイエスの方はより内的な素質を有していました。

ベツレヘムのイエスの中には偉大なゾロアスターが受肉したのです。ゾロアスターは自らのアストラル体をヘルメスに、エーテル
体をモーゼに与えました。彼の自我は紀元前6世紀にナザラトス、あるいはザラトスという名でカルデアに受肉し、次いで、イエ
スとして受肉したのです。このイエスはエジプトに行き、しばらくの間、自分に適した環境の中に生き、エジプトの印象を自分の
内に甦らせねばなりませんでした。

ルカが語っているイエスとマタイが語っているイエスを同一人物だと思ってはなりません。ヘロデ王の命令によって、2歳以下の
子供は全て殺されました。洗礼者ヨハネとイエスの誕生の間に十分な年月の差がなかったら、洗礼者ヨハネも殺されていたは
ずです。

12歳の時、ベツレヘムのイエスの自我、つまりゾロアスターの自我は、もう一人のイエスの中に移り行きます。12歳以降、ナザ
レのイエスの中にはかつての自我ではなく、ゾロアスターの自我が生きることになります。

自我が去って行った後、すぐにベツレヘムのイエスは死にました。ゾロアスターの自我の、ナザレのイエスの中への移行は、ル
カ福音書の「神殿に於ける12歳のイエス」の場面に語られています。

なぜ自分の子供が突然叡智に満ちた話をするようになったのか、両親には分かりませんでした。この両親にはこの子供の他に
は子供はありませんでした。もう一方の両親には、イエスの他に4人の男の子と2人の女の子がありました。後にこの二つの家
族はナザレで近くに住むようになり、遂にはひとつの家族となりました。ベツレヘムのイエスが生まれた時、父親は既に年老い
ていました。このヨセフは間もなく死に、母マリアは子供たちを連れて、ナザレのヨセフの家庭に入ったのです。

このように、ナザレのイエスの中で、仏陀は応身でゾロアスターの自我と共に働きました。仏陀とゾロアスターがイエスの中で協
力して働いたのです。

マタイ福音書はベツレヘムのイエスについて書いています。このイエスの誕生に際しては、星に導かれて、東方の三賢人が再
受肉したゾロアスターのところにやってきます。(P10-P14)