ゲーテの世界観




カントの世界観

カントの哲学的な考え方は、さらに特に彼の宗教的な感性によって育まれてきた。人間において、イデアの世界と知覚の世界が
生き生きと共鳴しあうのを、見ることから始めることなく、彼はまず次のような問いかけを行う。すなわち、イデアの世界の体験を
通して、知覚の領域においてはけっして現れることがないようなものが果たして知られうるのかどうかと。

ゲーテ的な世界観で考える人には、どのようにイデアが感覚的な現れの世界において現実性を直観させうるかということは自明
なことであるので、彼はイデアの本質を把握することによって、イデアの世界の現実的な性格を認識することを求める。その時、
彼には次のように問うことが許される。すなわち、このように体験されたイデア世界の現実的な性格を通して、自由、不滅性、神
的な世界秩序といった超感覚的な真理が人間の認識と関わりを見出す領域へどの程度まで深く我々は入り込んでいくことがで
きるのかと。

イデアの感覚的な知覚との間に有する関係から、カントはイデア世界の現実性について何かを知ることができるという可能性を
否定した。このような前提から、無意識的にではあるが、彼の宗教的な感じ方によって要求されたこと、すなわち、自由、不滅
性、神的な世界秩序といったことに関する問いを前にしては、学問的な認識は停止しなければならないということが、彼には学
問的な成果として明らかとなった。つまり、人間の認識は感覚の領域を取り巻く限界にまでしか歩み寄ることができないというこ
と、それを越えた一切の事がらについてはただ信仰によってのみ啓示されるということが彼には明らかとなった。

彼は信仰に場所を得させるために、知に制限を加えようとした。ゲーテ的な世界観の中では、イデアの世界がその本質的な姿
で自然において観照せられ、それによって確固としたイデア世界の中で、感覚世界を越えた経験世界へと歩み入ることができる
という確かな原則をもって知を司ることが肝要である。さらにまた、感覚世界にはない領域が認識される時、眼差しはイデアと経
験が生き生きと共鳴しあう様へと向けられ、それを通して認識の確実性が求められる。カントはそのような確実性を見出すことが
できなかった。それ故に、自由、不滅性、神的秩序といった表象に関しては、認識の外に基礎を見出す方向へと彼は狙いを定
める。

ゲーテ的な世界観においては、自然において把握されるイデア世界の本質について認識することが我々に許容されているのと
同じ程度に、物自体についてもまた多くのことを認識しようとすることが肝要である。カント的な世界観においては、《物自体》の
世界を照明して見せるという権利を認識から剥奪することが重要である。ゲーテは、認識において事物の本質を照らしだす明か
りを灯すことを欲する。照明せられた事物の本性がその明かりの中にはないこともまた彼には明らかである。しかしそれにも拘ら
ず、彼はその明かりによる照明によって、この事物の本質を明らかにしようとすることを断念はしない。カントは、この明かりの中
には照明せられた事物の本性がないという考えに、それ故に、明かりはこの本性について何事も明らかにすることができないと
いう考え方に固執する。

ゲーテ的な世界観を前にして、カント的な世界観はただ次のようなものであると言うことができる。すなわち、古くからの誤った考
え方の除去、現実への自由な本来的な現実性への関与を通してではなく、教え込まれ、受け継がれてきた哲学的、宗教的な
先入観が論理的にないまぜになったところから、このような世界観が成立したのであると。このような世界観は自然の中の創造
に対する生き生きとした感覚が未発達なままである精神からのみ生ずる。そしてこのような世界観は、同様の欠陥をもつ精神に
のみ影響力をもつことができる。カントの考え方が同時代人に及ぼしたその広範な影響から、このような考え方がいかにしっか
りと、一面に偏したプラトン主義に呪縛されてあったかが察せられるはずである。(P40-P43)