思春期で白髪、白内障などになる早老症患者の6割は日本人
最近ネットで以下のような記事に出会いました。
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思春期で白髪、白内障などになる早老症患者の6割は日本人. 

思春期を過ぎた頃から白髪や白内障、高音のかすれ声などの部分的老化症状や糖尿病、悪性腫瘍、動脈硬化といった全身的な症状が起こるのが早老症(ウェルナー症候群)だ。

DNA修復に関係する遺伝子の変異が原因で起こり、世界の患者の約6割が日本人である。本年度中に診断と診療ガイドラインを作成予定で、的確な診断と早期治療を行なうことで治療効果の向上が期待されている。

早老症(ウェルナー症候群)は、思春期を過ぎた頃に白髪や白内障、高音のかすれ声などの老化現象や生活習慣病、悪性腫瘍、動脈硬化などが急速に起こる病気だ。ヒト8番染色体のDNAヘリカーゼという、DNA二重らせんをほどき、DNAの複製や修復などを行なう酵素の異常が原因で起こる。

10年前の神奈川県の調査では、1000人に6人が原因となる遺伝子を持っていることが確認されたが、常染色体劣性遺伝なので、両親のうち片方の遺伝子が正常であれば発症しない。千葉大学大学院細胞治療内科学の横手幸太郎教授に話を聞いた。

「国内には1000〜2000人の患者がいると推計されますが、本人が気づいていないこともかなりあります。足の傷がなかなか治らず、潰瘍になって皮膚科から紹介されたり、30代で白内障と診断され、眼科からの紹介などで早老症と診断されるケースがよくあります」

※週刊ポスト2011年6月17日号
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この記事を読んで真っ先に思い浮かんだのは、シュタイナーの幼児教育に関する記述でした。

幼いうちから字を読むことを学んだ子どもの心身は、大人になると荒廃します。幼いうちから字を読むことを学ばせるのは、あまりに早くその子に抽象性をもたらすことです。もしみなさまが幼い子どもに読み方を教えなかったら、硬化症になる人間はずっと少なくなるでしょう。さまざまなかたちで現れる全身の硬化は、誤った方法で読み方を教えた結果なのです。(シュタイナー教育の実践)

今日行われているような授業が続いていくならば、人間はあまりにも早い時期に老け込んで、年老いてしまうことでしょう。(悪の秘儀)

いわゆる学力低下問題やゆとり教育問題を日本の経済発展問題とリンクさせて語る人々があまりにも多いのはなぜなのでしょう。現代の日本経済を没落させたのは、土曜日までしっかりと学校で授業を受けていた、おそらく自分たちの方が現代っ子より利口だと勘違いしている年配者たちです。それなのに、現代日本の経済的停滞は「ゆとり教育」のせいだとでもいいたいような勢いです。なぜ彼らは「自分たちの覇気のなさ」、その「内弁慶さ」ぶりを自己反省しないのでしょうか。

中学生の大部分が集団就職していた時代こそが、もっとも日本に経済的覇気があった時代であったのは皮肉な話です。戦後の混乱期の中で、無一文状態から、「学のない人々」が「次々に社長となって会社を起こして大会社にした時代」はとっくの昔に過ぎ去りました。

当時の中学生は夜は9時半くらいには就寝していたとの報告があります。当時の日本人は現代日本人に比べ、「まったく学がありません」でした。しかし戦後、日本人の学歴が高度化するにつれて、それと反比例するように、高度成長期のような「若々しい覇気」というものを日本人は失い続けてきたのだと思います。

もはや誰も「精神が問題なのだ」とは語らなくなりました。

人々は大学卒の証書を就職活動において優位にたつために取得していますが、実は「自分たちの未来の身体の健康」を犠牲にしてそうしているのだとは思っていません。とくに大都市圏で行われている「お受験」の犠牲になっている幼児たちの「未来の身体の危機」は、お受験とはかかわりなく生活している地方都市で暮らす子供たちよりも深刻でしょう。(11.07.02)



うつ病と塩漬けになった頭
シュタイナーの本のなかに「催眠術とカタレプシーの関係」について言及した箇所があったのを最近思い出して、現在日本でうつ病として分類されている症状のなかには、シュタイナー言うところの「塩分過多になった頭が引き起こしている症状」もあるのではないかとふと思いましたので、その抜粋をアップすることにしました。

人体と宇宙のリズム-カタレプシー

とはいえ、この本のなかで「塩漬けになった頭」をもとにもどす方法については特に語られてはおりませんし、なぜ頭に塩が蓄積してしまうのかについても語られてはおりません。

しかし医学的素養のある方には、「塩漬けになった脳が引き起こす病的状態」について考えていただき、対処の方法なぞを発見していただければ、大変ありがたいことです。(10/10/24)



薔薇十字のトップページの一方を抹消いたしました
当薔薇十字サイトのトップページのURLは実は二種類ありましたが、このサイトは、もとはページの最上部に宣伝の帯が入るタイプの以下のURLで始めたサイトでした。
http://miyazaki.cool.ne.jp/roseandcross/

しかし記事の総量が増すとある時期からアップロードがうまくいかなくなりました。どうやら容量制限のせいらしいです。そこで容量を気にすることなく記事のアップロードができる、現在メインで使っている以下のURLに以後の記事はアップロードすることにしたのです。
http://roseandcross.kakurezato.com/index.html

この9/4に旧URLを抹消いたしましたので、今後トップページは新しいURLのみになります。ご了承ください。(08/09/08)



フリーメーソンと全体主義
神殿伝説と黄金伝説』のページで、シュタイナーのフリーメーソン関連の記事をいくつかアップしました。陰謀論を好む人々から絶大なる興味と関心を集め、ここ日本においても数えきれないほどの通俗本が書かれてきた、「あのフリーメーソン」です。シュタイナーは存命当時、フリーメーソンの高位の秘儀を本当にやり通した人物はヨーロッパにはいないだろう、と述べています。本来のフリーメーソンは名目だけを残し、内容を失い、形骸化している、だからフリーメーソンは内実を再獲得しなければならない、というような趣旨の発言もしておりました。

しかし後にシュタイナーは、第一次世界大戦の渦中において、イギリス人によってフランスに設置された大東社と呼ばれるフリーメーソン系の結社の動きに対し、強い批判を行っております。「フランス革命はフリーメーソンの影響力のもとに行われた」とシュタイナーは述べています。そして「近代の民主化運動の背後には、緑の流れと赤い流れの二つの流れがあるのにも関わらず、歴史家たちは、一方の流れのみに寄りそった発言をしている」と注意を促しています。当時知識人たちが皆なだれをうって社会主義・共産主義思想への傾斜を深めていったことを私は思い浮かべました。

「民主主義の名のもとで実際には権力を少数者のもとに集めた体制」……たとえば今で言えば、同胞に数多くの行方不明者を持つ日本国民とも関連の深い国家、「朝鮮民主主義人民共和国」のことなどを連想いたします。国家名に「民主主義」や「共和国」を持ちながら、実際には「少数者たちの貴族主義」によって統治される全体主義的国家群が二つの大戦後に大量に生まれ、自由主義社会を知識人やマスコミを動員した思想的大宣伝で脅かしつつ、しかしついには化けの皮がはがれ、現実に蹴り返されて次々と滅びました。北朝鮮はまだ滅びていないそれらの国家群のひとつです。しかし、これもボルシェビキという集団の革命運動を発端にして世界中に波及した近代の政治運動の虚しい残り香にすぎません。歴史は一巡いたしました。

偶然にも昔、私は「赤い流れ」のイメージを使って、この社会主義・共産主義・全体主義の歴史的経路を試論として描いたことがあります。興味のある方はは平成操練所内のブログ記事「大東亜戦争とは何だったのか」を参考にされてください。

「現代のフリーメーソンの活動」については何一つ資料を持たないので、今彼らが何をやっているのか、シュタイナーが期待したように「形骸化した形式」に「内実」を取り戻しつつあるのか、私には皆目分かりません。通俗的な陰謀論本をいくら読んでも参考にはならないですしね。(08/08/07)



糖尿病、4年で15%増
シュタイナー教育の実践」に糖尿病やリューマチに関して以下のような記述があります。

ある年齢になって糖尿病かリューマチになった人を見てみましょう。人々は、いつも現在しか考慮しません。その病気の治療法しか考えません。治療法を考えることに対しては、なにも反対することはありません。それは正しいことです。しかし、人間の人生全体を見渡すと、多くの場合、乳歯が永久歯に生えかわるころから性的成熟の時期のあいだに、過剰に記憶を強いられたか、正しくない方法で記憶力を使ったために、のちに糖尿病になったことがわかります。子どものころ、どのように心魂にかかわったかによって、成人期の健康状態は決まるのです。どのように記憶を形成したかが、大人になってから新陳代謝に作用するのです。7歳から14歳のあいだに、子どもの魂によって消化されなかった記憶の残余があると、それは身体の残滓としてストックされ、およそ35歳から45歳のあいだにリューマチか糖尿病を引き起こします。(P30)

今年〈2008年)の5月1日の地元の夕刊にこんな見出しが出ていました。

糖尿病、4年で15%増

予備軍含めると1870万人

記事には、

平成14年の前回調査に比べ250万人〈15.4%)増加し、生活習慣の改善が進んでいない実態が浮かび上がった。

厚労省は「食生活の乱れや、運動不足が影響しているのではないか」と指摘している。

と書いていますが、幼少時から社会人になる直前まで受け続けた国家主導の----つまり官僚たちによって作成された----悪しき教育システム〈思考習慣)の影響が、地下水路となって内向したのち、30年後40年後に、「その教育の結末」を現したのだ、とシュタイナーなら言うでしょう。

「生活習慣の改善」ではなく「精神習慣の改善」が----そんな言葉があるとすればの話ですが---「問題」なのだとは「まだ」、どんなマスコミも「大声」では宣伝しないようです。30年40年前よりも日本人の進学率は上昇しました。ということは、相対的に「悪しき精神生活を強いられた人びと」の総数も増えたわけですから、その結果、日本人の糖尿病や硬化症の発病率も上昇せざるを得ないのでしょう。(08/05/02)



1998年以後
1998年のソラトの影響も、どちらかというと表面上はあまり目立たない出来事として地上に姿を現すことになるのかもしれません。

と「ルドルフ・シュタイナーの「大予言」2」の著者の松浦賢氏は書いておりますが、「精神の世界」における崩壊現象が1998年以降ひそかに強まっているのかもしれません。統計資料によると、日本の自殺者数は1998年にそれまでの2万人台から3万人台へといっきに8000人近く数が増加し、その後今日にいたるまで毎年3万人以上の日本人が自殺を遂げております。「その年代周辺で始まった雇用環境の悪化問題が自殺者数増加の後押しをしている」という分析もなされているようですが、98年に起きた「統計数のジャンプ(急上昇)現象」と「その後の現状維持現象」は実に不思議な事実です。

最近では硫化水素問題が取り沙汰されておりますが、自殺幇助の目的から始まったネット上(2ちゃんねる)の書き込みから、これが自殺者自身のためではなく殺人目的に----毒ガス・テロ、集団殺傷事件に----変化するのは時間の問題かと思われます。多くの日本人が「毒ガスは簡単に作れる」ということに気がついてしまいました。


神智学の門前にて」においてシュタイナーは以下のようなことを書いております。

今もし、唯物論的な思考習慣が抑止されないなら、やがて人間は神経質になるなるだけではなく、子どもも震えながら生まれてくるようになる。子どもは周囲の世界を感じるだけではなく、どのような周囲の環境にも苦痛を感じるようになる。とくに、精神病が非常な早さで広まる。狂気の流行病が、何十年か先には現れるだろう。精神病の流行によって、人類の進化は妨害されようとしている。

「精神病」とはいまでいうところの「うつ病」などを指すのでしょうか。昔「躁鬱病」と言っていた精神疾患は、いつのまにか「躁」の文字がとれて、「うつ病」と表記されるようになりました。

いま、シュタイナーの「民族論」をどう読むか」では「日本人の唯物論は西欧のそれを凌駕してしまうだろう」というシュタイナーの不気味な予言があります。「ひそやかな精神的頽廃と荒廃」そしてそれを「構造的に支えている国家が管理する教育思想と教育体制と実践内容」----こういったものは、すべて関連しているのではないでしょうか。

日本人は今後「精神的に持つ」のでしょうか。なにかさらにとても恐ろしい状態が----さらなる狂気が----日本社会を襲うのではないかという不安を感じております。(08/05/01)



秘儀参入者としての古代天皇
最近ずっとシュタイナーの以下の発言について考えてました。

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さまざまな民族の密儀に参入した者は、ある意味で同一のことを体験しました。苦しみを受け、3日間の仮死状態に到って、精神が身体から離れて神霊世界におもむいたあと、精神はふたたび身体のなかに戻りました。身体のなかに戻った精神は、神霊世界で体験したことを思い出せました。秘儀参入者は、神霊世界の秘密を告げる使者として登場しました。精神がしばらくの間物質的身体から離れて、死に到るのが秘儀参入でした。身体から離れて神霊世界に滞在したあと、物質的身体のなかに戻ってきて、神的な秘密の使者になるのが秘儀参入でした。入念な準備ののち、物質的身体という道具を用いずに3日半のあいだ生きることができるように心魂の力が鍛えられたのちに、秘儀参入は遂行されました。3日半ののち、参入者は物質的身体に結び付かねばなりませんでした。通常の生活から離れて高次世界に移ることによって、秘儀を体験したのです。(マルコ福音書講義-ゴルゴタの秘儀)
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この発言を読んだとき、私は日本の古代の大王(おおきみ)は実際に「秘儀参入者」だったのではないかとふと思ったんです。そして「大嘗祭」という言葉が頭に浮かびました。そして検索をしてあれこれ記事を見てまわるうち、日本財団図書館のウェブサイトで面白いと感じた記事を見つけました。

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新嘗祭が、天皇の代替わりに際して、1世1回限りの大祭として行われたのが大嘗祭である。祭りの内容はほぼ同じだが、期間が4日間と長いこと、「大嘗宮」という施設をこの祭りのために新設することなどが、毎年の新嘗祭と異なる。

大嘗祭は、日本古来の祭りといいながら、その実態のきわめて分かりにくい祭りである。というのは、4日間の行事のうち、第1日の夜から第2日の朝にかけて天皇自らが殿舎にこもり、祭神に神饌(しんせん)を供する神事が大嘗祭の核心部分なのだが、これが外部からうかがい知ることを許されぬ秘儀とされているからだ。

この秘儀の持つ意味について衝撃的な解釈をほどこしたのは、折口信夫だった。折口は、天皇が神事のためにこもる殿舎に、衾(ふすま)をかけた寝座が神座として設営されていることに着目し、これを天孫降臨神話でニニギノミコトがくるまって天降りした真床襲衾(まどこおふすま)に当たるとした。新しい天皇はこの寝座に引きこもって物忌みをし、天皇霊を身につけて天子としての資格を得る、と解したのである。

岡田精司三重大教授によると約60年前のこの折口説(「大嘗祭の本義」)は、論証抜きに古代人の心に迫ろうとする詩人的直感の所産とでもいうべきものでありながら、天皇の祭りをはじめて民俗学的に、神話とのかかわりでとらえた研究として高く評価され、いまも学界内に大きな影響力を持っている。

一方、当然のことながら折口説に留保をつける研究者もいる。折口の弟子に当たる倉林正次国学院大教授(民俗学)は、律令期以後は、即位礼―大嘗祭の順で即位儀礼が行われているのに対し、律令前では大嘗祭―即位礼と逆転して行われていたと想定し、折口の天皇霊説が妥当するのは律令前までの段階のことで、律令後の大嘗祭は、天神地祇に天皇就任を報告する性格のものに儀礼の意味が変わった、と説く。(『儀礼文化』第8号所収「祭りから儀礼への展開」)
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大嘗祭の期間は「4日間」と書いてあります。現在天皇は「一夜しか眠らない」ですが、本来は「3日半の間眠っていた」のではないでしょうか。だからこそ「4日間続く儀式」だったのです。文献上ではニニギノミコトと秘儀体験の関連性を折口信夫が語っていますが、律令期前は「大嘗祭→即位礼」の順で行われていた儀礼が律令期以後は逆転したというのも、まさにこの古代の革命の時代に、律令制度という大陸的政治手法を始めるにあたって、日本古来からの秘儀の儀式は、これからは「単なる儀礼」となす、という意思の現れだったのかもしれません。「古代的なるもの」からの決別です。

大嘗祭で天皇は何をするのでしょうか。「神殿のなかで眠る」のです。学者等の報告によって外部に伺い知ることのできる事実はこの「眠る」という行為だけです。そして「それこそが最大の秘密だった」のでした。「秘儀体験とは〈眠り=死〉の体験そのもの」であるということ知る人々は、当然、古代日本の祭司たちは「ただ眠っただけ」なのではないと考えるのではないでしょうか。

儀式で天皇が「1日しか眠らなくなった」のは、すでに律令期よりもずっと以前からだった可能性もあります。というのは日本人の肉体も歴史的に変化してきたわけですし、文献上で遡及できる古代以後においては、「本当の秘儀」に耐えうる真の祭司候補はすでにいなくなっていた可能性もあります。それは古代の民族がつまり人類の祖先全体が、多少の時期の食い違いはあれ、失わねばならない「身体上の素質」だったというのは、シュタイナーも言及しているところです。諸外国の古代の王権がそうならざるを得なかったように、秘儀参入者としての素質は失われ、王権の継承はただ「血のつながり」のみによって維持されていきます。

ともかく、シュタイナーの発言に学んだかたがたは、日本の古代人が行っていたであろう秘儀参入体験に思いをはせてみるとよいかと思われます。記紀における神武天皇の物語には「情報をもたらし道案内をするカラス」の話が出てきますが、これも「ヨハネ福音書講義-キリスト以前の秘儀参入の七段階」における以下の記述と兼ね合わせて考えるとまた記紀神話を違った角度から読むこともできるかもしれません。諡に「ヤマト」という名を持った古代のオオキミ(天皇)たちの霊的立ち位置、あるいは「ヤマトタケルの命」と秘儀の関係など、案外秘儀の問題と深い関連性が記紀の記述のなかに隠されているかもしれません。(08/02/05)



渡部昇一氏とシュタイナー
渡部昇一氏がシュタイナーに詳しいということは、一部の者にしか知られていない事実だと思うんですが、彼がシュタイナー思想についてどういう感覚を抱いているか、その片鱗が伺える出版資料がありますので、その箇所を抜粋して、皆さんにご紹介しておこうと思います。以下は、『知性としての精神』という本の中の対談の章からの抜粋です。

                                                   
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【松田義幸】高橋(巌)先生には、シュタイナーの背後にあるプラトンについてのお話をいただきましが、ルドルフ・シュタイナーについて、もう少しお話をお伺いしたいと思います。ルドルフ・シュタイナーについては、ヤンソン先生も渡部先生も関心をお持ちです。そして、高橋先生は、ご自身もそれを専門にされ、シュタイナーの紹介に尽力されてこられました。その高橋先生が、以前から、日本でシュタイナーを最も理解されている学者は渡部先生ではないかと思っていらっしゃるのだそうです。日本でも、シュタイナー教育は非常に関心が持たれていますが、シュタイナーの思想は、なかなか人にわかるように話すことができません。わかっているようでいて、言葉にすると難しく、シュタイナーを知らない人に伝えようとすると、自分はまだシュタイナーをまったくわかっていないということに気づくというわけです。そこで、シュタイナーをどう理解すればよいか、先生方からさらにお話を伺いたいと思います。

【渡部昇一】私がシュタイナーに触れたのはいまから20年ほど前に1年間エディンバラに住んでいた時のことです。その時に、私の子どもが通っていた音楽学校のヴァイオリン教授とレッスンの合間に話をしたのですが、どうもただ者ではないという感じなのです。

ある時、その先生が非常に晴れやかな顔をして、「いま、ここにくる途中でとてもよい本を読んでいたのだ」と言って見せてくれたのがシュタイナーでした。それで私はシュタイナーに興味を持ったのです。エディンバラにはシュタイナー・スクールもありますし、シュタイナー・ブックショップもあります。そこでごっそりと本を買って、次々に読みました。そのうちに、「ああ、この人はプラトンだな」と思うことがありました。

総体的にシュタイナーを話すときりがないので、頭に残ったことを二、三言ったほうがおわかりになると思います。

シュタイナーは第一級のゲーテ学者です。ゲーテ全集の中でも一番権威のあるワイマール版の、誰も手をつけられないほど難しいと言われたゲーテの科学論文集を編纂した人でもあります。

シュタイナーは学生の頃に、ある貴族の家庭教師をしました。その貴族の家には、精神薄弱の子どもがいました。ところが、シュタイナーがその子どもを見ていると、子どもの頭のなかで霊魂がもがいているのが見えるのです。表現しようと求めているのに表現しようがなくてもがいている霊が、シュタイナーには見えるのです。そのもがいている霊を解いてやろうと一生懸命やるうちに、当時としては絶対に治癒不可能だったその精神薄弱児が治るのです。その子どもの母親である貴族の夫人は感激して、後にシュタイナーと一緒になります。(引用者注:そもそも、この家庭は母子家庭だったのです。後シュタイナーはマリー・フォン・ジーフェルスと再婚しますが、それはこの母子家庭のご婦人が結婚生活の途中で病死した後のことであります。)

私は、そのように「霊が見える」という特殊な人は、あり得ると思います。シュタイナーの表現は、すべて比喩です。これはプラトンそのものです。

たとえば、地球は、太陽からバーンと飛び出した時は真っ赤な火の玉です。こんなところに生き物がいるわけがありません。それがだんだんと冷えてきたら、木が生え、動物ができ、鳥が飛んで、人間までできてきた、これはなぜかという説明を、シュタイナーは比喩でこう語ります。「その説明が難しいのは、地球が死んでいるものだと考えるからだ。地球が生きているものだと考えるとよい。たとえば、地球を人間の頭のようなものだと思いなさい。頭なら、ひとりでに髪の毛が生えてくる。放っておけば、イノシシのようにシラミもわく」

このように、地球の神秘は地球が生きていると思えば理解できると語るのですが、非常に説得力があります。

私は、シュタイナーに深くはまり込んでいるというわけではありませんが、シュタイナーを読むことによって私の精神的視野が広くなったという感じはしています。(P179-P181)
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Amazonで書籍検索したら、いまやこの本はもともと1500円だったものが、「馬鹿げた値段」(もとの10倍)に跳ね上がってまして、中古品のみの販売となっています。興味のある人は図書館巡りでもするしか、いまのところありません。(08/01/29)



いまだに全体像の関連が分かりません
20年近くシュタイナーの本を研究していますが、いまだに全体像がよく分かりません。修行にいどみたくても、こんなに怠け者では長続きするはずもなく、時には1年近く、シュタイナーの本を読まなかったなどということも過去にはありました。

このサイトは私のメモ帳として立ち上げました。抜き書きに用いた本はすべて長い研究生活のなかで自分で購入して所有しているものばかりです。ですから、読んでいる最中に気になった箇所の抜き書きになってますので、必ずしもこのサイトを訪れてくださる方々の関心と一致しているわけではないでしょうが---- 別のシュタイナー読者が、私と同じようなサイトを作ったら、違う箇所を抜き書きすることも多いでしょう----それでも「おお、これは面白いこと書いてるな」とお感じになられたら、是非自分自身で「その抜き書き」が書いてある「実物の本」を手に入れて、「その本の全体」に再度挑んでいただきたいと思います。

10代、20代のお若い方はこれからも長い時間がありますから、ゆっくり自分で本を集めていきながら、自分なりに研究を続けていくとよいのではないでしょうか。この道は、それぞれの人が自分の速度で研究を続けていける世界です。そういう「シュタイナーを学んでみたい」という欲求を持っている人びとに、微力ではありますが、「興味の入り口」を提供できたら、私としてもさいわいです。(07/10/09)



四面体としての地球の頂点たる富士山
「地球は球体であり、球体として形成された、と言われています。しかし、地球が球体であるというのは正しくありません。地球が実際には、本来どのようなものか、説明しようと思います。地球が球体だというのは、空想にすぎません。地球の形態を正しく思い描きましょう。四面体と呼ばれている形態です。」とシュタイナーは『自然と人間の生活』(「地球の形」参照)の中で述べています。

現代日本の中学生たちが「造山帯」の呼び名で学習している火山の連なりこそ、その四面体の4枚の面のそれぞれが互いに張り合わされている部分なのである、とシュタイナーは暗示しているわけです。

地球四面体の頂点に位置するのが日本だ、とシュタイナーは言っています。

私はこの記事を読んだとき、昔『サイエンス・アイ』というNHKの教育番組で見た富士山の特集(2001/9/15)のことを思いだしました。私は普段、この番組を録画することなどなかったのですが、当時、この特集を見たとき、私はなぜか無性にこの回を録画したくなり、すぐにビデオ・カセットをデッキに突っ込んで録画しながら見ました。

日本は火山列島ですが、数々ある火山の中でも、実は富士山は溶岩の質において、「1対その他の火山」の関係を持っているのだ、ということをその番組で知りました。

というのは、日本の火山の溶岩の質は基本的に安山岩質で非常に粘りけのあるものなのですが、富士山から流れ出る溶岩だけが、さらさらの玄武岩質なのだというのです。そして、番組ではその謎解きを仮説という形で紹介しておりました。

伊豆半島に向かうフィリピン海・プレートは伊豆半島の真下で裂けて進み、フィリピン海・プレートのさらに下にあるマグマだまりから立ち昇ってくる玄武岩質の溶岩がそのまま、その裂け目を通って立ち昇ってくるからだ、という仮説でした。

つまり富士山から出てくる溶岩は、他の日本の火山の溶岩に比べて、より「直通的」に地下世界から昇ってくるのだ、という話であります。

この仮説の説明のときに示されたイメージ図を見直して、「あっ」と思いました。私はテレビを室内アンテナで見ているので、このキャプチャー画像の画質ははなはだ悪いですが、イメージはつかめると思います。以下の図です。




まさに富士山が三つの面の頂点に位置している図としても読めるではないですか、この図示されたイメージを見ると。

「地球は四面体を変造して球体化したものなのだ」というシュタイナーの指摘と別の科学的報告が私の中で結びついた瞬間でありました。(07/05/17)



シュタイナーの文庫本
最近では、ここ日本でも、シュタイナーの著書を文庫で読めるまでになりました。すごいことだと思います。書店に行くと「普通」の哲学系著書の横にシュタイナーの「ぶっとぶような内容の本」が背表紙を立てて並べてありますからねえ。

私の希望としては『社会の未来』『現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心』『シュタイナー経済学講座』の三冊をはやく文庫化して一般の書店でも簡単に手に入れられるように筑摩さんが動いてくれればいいのになあと思ってます。 私これらの本----イザラ書房版、高いんだな、これが----出版された当時に購入して、何度も読み返してきましたが、文庫が出ればもっと読みやすくなるなあと思ってます。 

日本ではシュタイナーは政治経済的には左側を好む傾向のある擁護者が多いようですが、おそらく神秘学系ばかりトレースしていて、こういう系統(神秘な話は含まれず)の著書を読んでいないからではないのかと思います。

「資本主義」について、シュタイナーはこんなことも言ってますしね。

今日の経済活動においては、資本なしには何も行えないということは、詳しく述べるまでもない自明のことです。資本主義を罵るのは、経済学的な素人道楽だということも明らかです。(あたまを育てる からだを育てる-商)

その本(『現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心』)には、いくつかの方針を例示しました。資本主義はどのように進展すべきか、労働問題をどのように調整するかなどについて、いくつかの例をあげました。(あたまを育てる からだを育てる-社会有機体の三分節)


シュタイナーが精力的に批判活動をしてきたのは、経済問題について、「いわゆる社会主義的な(つまり国家依存症的な)解決策を好む人々」に対してだったということを、「いわゆる社会主義」をいまなお指向しつつ、シュタイナーの神秘思想にも惹かれるとおっしゃる日本のシュタイナー・ファンの方は、再確認された方がよろしいかと思われます。

その確認作業を容易にするためにも、筑摩さん、はやくさきほどの著書を文庫に加えてやってください。(07/04/16)



RED GARDEN、蝶々、新耳袋、エウレカセブン、シュタイナー
私の住んでいる宮崎県域でも、深夜帯のアニメはいくつか放送されるようになりましたが(たとえば『NANA』とか)、『RED GARDEN』はやっておりませんでした。それで私はGyaOで放送されているものを録画して4話ずつを一枚のDVDに焼き直して、私家版DVDで見てました。 全話を見終わって、オフィシャルサイトに飛んで、初めてあれこれの裏話を読んでみたんですが、GONZOは、いろいろとかなり新しい試みをしていたようです。 

このドラマは、4人の少女たちの性格の描きわけが明確で、私は少女たちそれぞれの「性格」に感情移入することができました。個人的にはクレアのキャラが一番気に入ってます(声優さんの声もまさにクレア的)。 キャラクターの作画のイメージ作り役を担当したのは、アニメ界とはまったく無関係にアート画の制作活動をしていた藤純さんという女性で、オファーが来たとき「私アニメを観ないんですけど、大丈夫ですか?」と聞いたら、「だから、いいんですよ」という監督の返事が返ってきたとか。そういうわけで私は美術的な面でもたいへん興味深いアニメ作品でした。

このアニメには、ある特殊状況が出現する合図として、蝶が個々に4人の少女の周りに出現して飛び回るシーンが頻繁に出てきます。その蝶は彼女たちにしか見えません。『新耳袋』第5夜の「蝶々」というエピソードを思い出しました。ある少女が体の調子が悪くなる直前には、必ず自分の周りを蝶が飛び回るイメージを見るというエピソードです。やはりこの蝶はその少女にしか見えません。 

実はシュタイナーにも「司祭は『ヤハウェ』と発音するとき、いたるところに飛び回る蝶のイメージを見ました」という発言があります。(美しい生活-個我と蝶のイメージ) それぞれのエピソードの間には何の関連性もないのかもしれませんが、自分の生活の中で、こういう「観念連鎖」が集中的に起きたということはまた面白い体験でした。

昔別のサイトで『エウレカセブン』に出てくる「大地(スカブコーラル=石灰で出来ている大地)は夢を見ている。大地は眠っている」というセリフと、シュタイナーの「眠っている石灰の大地の生命が復活する」という言及(自然と人間の生活-石灰の作用)との関連に言及したことがありますが、脚本家の佐藤大さんがシュタイナーを参照したのかどうかははっきりとは分かりません。しかし、その連想(観念連合)が、私の中でのただの偶然の一致だったとしても、こういう「観念連鎖」というものは起きると楽しいもんですよ。(07/04/13)



怪奇 消えるミツバチ
3月2日にアメリカの養蜂業に関する以下のような記事が出ました。
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怪奇 消えるミツバチ 米24州に拡大 “過労死”?…原因不明

【ワシントン=山本秀也】米国全土でミツバチが巣箱から集団で失踪(しっそうする怪現象が広がっている。養蜂(ようほう)業者の減少で、みつの採集などの作業を通じて過度のノルマを課せられたことによる“過労死説”も出ているが、原因は分からず、国家養蜂局(NHB)が緊急調査に乗り出した。養蜂業への打撃に加え、ハチを介した受粉に依存するアーモンドやブルーベリーといった140億ドル(約1兆6000億円)規模の農作物への深刻な影響が懸念され始めた。

全米養蜂協会によると、元気だったハチが翌朝に巣箱に戻らないまま数匹を残して消える現象は、昨年の10月あたりから報告され始めた。27日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、この集団失踪がすでにカリフォルニア、フロリダ州など24州で確認されたと報じた。ハチの失踪数に見合うだけの死骸(しがい)は行動圏で確認されないケースが多く、失踪か死んだのかも完全には特定できない状態だ。

米国でのハチの集団失踪は、19世紀末から記録されており、1980年代にも2つの大型失踪が報告されている。だが、今回ほど広範囲な集団失踪は例がなく、ニューヨーク・タイムズ紙は「どの養蜂箱も空っぽだ」という生産農家の声を報道している。
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皆さんの中にも読んだ記憶のある方がいらっしゃると思いますが、私がこの記事を読んだとき、シュタイナーのハチに関する記事をすぐに思いだしました。「養蜂家が死ぬとミツバチも死んでしまう」という言い伝えに関する質問に対して、シュタイナーが回答したものです。

シュタイナーの発言と直接関連性があるのかどうかは分かりませんが、「ハチというのは集団で消えることがしばしばあるのだ」という事実をネット上で改めて知って、サイトの方にも関連記事をアップすることにしました。URLは以下です。(07/04/08)

身体と心が求める栄養学  ミツバチと人間



死神の焦げた臭い
精霊(浄化されていない霊)が近づいてくると、霊感の強い人は----エーテル体と肉体が少し緩んでいるタイプの人だと思います----吐き気を感じたり、体に痛みが走ったり、臭いを感じたりするようです。もちろん体験の仕方はさまざまで、そんなことはいっさいなく、ただ幽霊のイメージだけを見せられる場合もあるようです。 

臭いと言えば、稲川淳二の『恐怖物語5』の巻末に「焦げて、すっぱいような臭い」をさせて近づいている「見えざる死神」の話が出てきますが、「焦げた臭い」が近くに死神がいる象徴となっているという話は、昔どこかで聞いたような気がして、「はて?」どこでだっただろうと思い出してみたんですが、この話はベトナム戦争時の米兵の話でした。ネットの対話で直接(という表現は変ですが)お伺いしたものです。その話をしてくださった方は、日本人ですが渡米して米軍に入り、実際にベトナム戦争に派遣された方で、米兵の中には妙に直感力のある兵士がいて危機回避能力が高かったが、彼らはそういう直感を働かせるとき、どういうことで判断をしていたのかというと、危険が近づいているときは----死が目前に近づいているときは----いつも鼻先に「何か焦げたような臭い」を感じていたという話です。その「臭い」が出現すると「危険感覚」が生じ、「その警告」によってより注意深い回避行動を取り、命を長らえて帰国を果たすことができた、と。 「エミリー・ローズ」という悪魔ばらいの実話を扱ったハリウッド映画にも「悪魔の臭い」として「なにか焦げたような臭い」という表現が使われております。

スウェデンボルグの主張は、精霊の側が現界の側にいる人間に対して影響を行使することによって、生きている人間の側に「一瞬の霊界体験」を吹き込んでいるということです。エーテル体と肉体の結びつきが少し緩んでいる人は、そのような経験を持ちやすいと言えるのではないでしょうか。 

今後ますます人間のエーテル体と肉体の間が緩んでいく、ということはシュタイナーが言っていることで、このために病気に見えるような状態を示す人も多く出てくるとのことです。 

シュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』は「いかにすれば〈意図的に〉エーテル体と肉体を分離することができるか」という技法----スウェデンボルグ風に言えば「死の技術」----について解説しているということですね。しかし、それは、「精霊界」=「魂界」=「欲界」(死者が成仏する以前の世界)に「参入」する「技法」の開発について語っているのではなくて、もっと高次の世界、「浄化された世界」=「霊界」=「神界」にいる「高次の霊」といかにすれば対面できるようになれるかという技法の開発(修行)について解説するものです。 

私自身は読書ばかりでいっこうに修行らしきことは行っておりませんが、なんとかチャレンジしたいとは思っています。(07/04/08)



スウエデンボルグ
最近、HPに「その他文献集」というページを加えました。エドガー・ケイシーとスウェデンボルグですが、隠れたテーマは「意志力の行使」であります。(「快癒のための祈り」というもの一種の遠隔効果ともいえます。)

心霊関係のテーマだとよく「憑依」ということが話題に出てきますが、死者でなくとも「一種の憑依現象」は可能なのだという例としてエドガー・ケイシーの体験談を掲げました。(けして「魔術のすすめ」ではありません。) 

エマニュエル・スウェデンボルグについては----彼は日本で言うと江戸時代(18世紀後半)にヨーロッパで活躍した人ですが----死者による「思考伝達」の記事を中心にまとめました。スウェデンボルグは死後の世界を「精霊界」と「霊界」に分けて記述しておりますが、これはシュタイナー用語の区分を使って表現すれば「魂界」と「霊界」という区分と重なるだろうと思います。スウェデンボルグの記述は当時の西欧人の意識に合うようなポピュラーな語り方になっております。(ですから物語風ですね。) 

私は、解釈を入れず、展開もなく、ただ事象を記述しただけの『新耳袋』シリーズを読むのが好きで----というのは、それは私自身の体験の仕方と同じだからです。ある奇妙な事象が身辺で時々起きますが、その理由や意味が分かりません----この本の中には幽霊目撃談などもたくさん出てきますが、スウェデンボルグを読むと「ああ、なるほど。結局これは低次の精霊界で起きている作用が、こちらの世界へシグナルを送る一瞬間の出来事を描いているんだな」という思いにいたります。つまりそれは決して「高度な心霊体験」ではないということです。

「本当に霊格の高い霊は見ることはできない。だからわれわれはそれを見ることができるように修行をするのだ」というような話は『新耳袋』にも霊能者の話として出てきますが、彼らが相談者の要請によって相手にしているのも、地上界との関連性を振り切れない、真の霊化を果たす(日本的に言えば成仏する)以前の形態(スウェデンボルグのいう精霊)なのだということですね。 

スウェデンボルグは「死の技術」という表現を使っていますが、これもシュタイナー用語に置き換えれば「スウェデンボルグは秘儀に参入した」と言うことができると思います。私は「民族名で呼ばれる段階」の秘儀参入者ではないかと思っていますが(参考 ヨハネ福音書講義-キリスト以前の秘儀参入の七段階、ナタナエルとの対)。調べましたところ、スウェデンボルグ[Swedenborg]の本来の苗字は[Swedberg]だったのでした。スウェデンボルグはイギリスで有名になった人なので、日本でも英語風な発音で呼ばれていますが、私は昔「スウェデンボリ」という発音も見たことがあるので、こちらの方が本来のスウェーデン風発音に近いのだろうと思います。つまり「スウェデンボリ」という苗字は本来「スウェッドベリ(参考例)」だったということですね。スウェーデン語に詳しい方がいらっしゃったら、この発音関連あたりのことご教示願います。

母国名のスウェーデンという言葉がかぶった新しい苗字は、聖職者としての父がその仕事の功績から、「これからはこれを使いなさい」と当時の女王から授けられたものだそうです。ですから幼少の頃のエマニュエルは自分のことをエマニュエル・スウェッドベリと名乗っていたはずです。「スウェデンボルグ」を私なりに調べて無理に訳すと「スウェーデンの城」となるようです。

 「幽霊を見る者は、あるいは死の知らせを受け取る人々は、一瞬死んで精霊界へおもむき、そこで相手の精霊と意志疎通をしているのだ。地上で幽霊を見たつもりでも、本当はこの地上で出会っているのではない」という部分が私には面白い見解だと感じました。精霊界と現界が重なっているんですね、生きている側から見ると。一方精霊側から見ると、現界は見えません。死んでいるんですから。 

でも死んだばかりの死者は、エーテル体----普通それほど日をおかずに2、3日程度で解消されるはずですが----を完全に脱ぎ捨てるまでは地上界も見ることができるんでしょうか。「自分の死体を取り囲んで家族が泣いているのを見た」などという報告もありますよね。これってなんなんでしょうか。それに心霊写真や心霊ビデオの存在、あるいは電話、電気製品の誤作動、電灯の点滅、停電などに関わる奇妙な体験は何なのでしょうか。電気的、磁気的作用力が働いているってことでしょうが、こういうことを説明してくれている記事には出会うことがないですよねえ。

幽体離脱かもしれない体験、私にも一度だけあります。今の家に引っ越す前に住んでいた家でのことです。ある夏の日、昼寝してたんですが、ふと気がつくとベッドからサッシ窓の外へ体が半分出てしまっている自分を発見し、「あれ?」っとあたりを見回し、外から私の家のサッシ窓とか周りの壁とか隣の畑とかを眺めながら「あー、体が半分外へ出てるー」と驚いたとたん、ものすごいスピードで体がもとの体に引き戻され----最後はショック感がありました。そうちょうど高いところからジャンプして下の地面にダンと接地したときの感じににてました----そのショック感で目がパチっと開き、気がつくと体がぞっとするほど冷えていました。普段はしないことですが、扇風機をベッドの足元側の台の上に置いて首振り状態にもせず強風状態のままでずっと寝ていたんです。起き上がるとすぐに扇風機を切りました。「うー、さみー」……夏だったのにも関わらず、最後は鳥肌たてたままそうつぶやきました。しばらくすると体があったまってことなきを得ました。

エーテル体は地上の物質を崩壊から守りつつ成り立たせている力体ですから、臨死体験、あるいは幽体離脱体験をした人が、上空から地上を見たというのも、エーテル体(あるいはエーテル界)の作用の影響力なのかもしれませんが……。やっぱりわかんないですねえ。

バウンドヘッドというブログには私の奇妙な体験集をたくさん載せました。まだ書ける体験はいろいろとありますので、また気が向いたら付け加えようと思います。興味のあるかたはどうぞ。(07/04/03)



花粉症の季節
花粉症の季節ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。そういえば、シュタイナーにも花粉症への言及があったなと思い出し、ご紹介する気になりました。

シュタイナーによると「花粉症の真の原因は花粉にあるのではない」ということだそうです。それは季節に関係し、さらにいうとアストラル体の状態に関係しているとも言っています。以下のリンクへ飛ぶとその抜粋部分が読めます。(07/03/08)

病気と治療



日本の近代式教育は男性の若禿げ化を促進している
教育関連記事を数編掲示しました。操練会議でもずっと教育関連の記事を書いてますが、操練会議の方では、教育問題とリンクさせてあえてこのことについては書きませんでしたが、シュタイナーの警告で、おもしろいと思ったのが、「近代式教育と男性の若禿げ」の関係でります。以下参考。

シュタイナー教育の実践−早期教育と硬化症、および男性の薄毛化の関係
人智学から見た家庭の医学-高校教育と男性の薄毛化との関連

日本の頭髪系の企業の宣伝花盛りですが(他の東西の諸外国の状況はどのようなものでしょうか?)、最近は男性の薄毛化がさらに若年化しているというような、ウソかホントかわからないような、恋に恋する青春期----当然見た目をもっとも気にする時期です----にある現代の日本の若者を不安にさせるような言葉もちらほらと聞いたりもします(まあ、私のように46歳にもなると、それほど髪を切実に求める情念などというものはなくなりますが。むしろ、ないほうが手入れが楽だというような……)。

受験戦争批判と関連づけて日本の詰め込み教育が批判された時代があったことはご存じの方も多いでしょうが、「詰め込み教育は、男性の若禿げ化問題と関連しているから、身体の健康のために、教育の方法を変えるべきだ」などというようなことを言う教育批評家はいまだ日本にも、おおぴらには存在しません(ネットでも日本国内では、この薔薇十字サイトでの言及くらいのもんではないでしょうか)。しかし、シュタイナーは冗談を言っているのではないでしょう。昔、父方の年長のいとこから「勉強しすぎると頭がはげるよ」と言われたことがありますが、そういう俗信というのも、あながち的外れではなかったのだと後年シュタイナーの発言を知って、「ああ、そういえばこう言われたことがあったな」と思ったものです。

シュタイナーの警告にそって考えるとすると、このままだと、日本の若者はますます頭の毛が薄くなっていくのであります。江戸時代はわざわざ日本の庶民は武士階級のマネをしてサカヤキを剃り----つまり前頭部を人工ハゲにして----ちょんまげをゆっていました。当時は、日本人には、それがカッコいいヘアスタイルに見えたからであります。

日本人のヘアスタイルに対する美意識もいまでは大きく変化しました。「教育問題は実は身体の健康問題とリンクしているのだ」というような考え方は、いまだ世の東西においても認知されている考え方ではありませんが、しかし、未来の子どもが現在のような不健康な教育体制で「若禿げの恐怖におびえる」----ユーモアを込めて書いてます----ことのないような「教育観の健康化」が、「すでにソレ(近代式教育の影響)が自分の頭部に来てしまっている私たち(そして、もしかしたら、あなた)」の責務ではないかと存じますよ。(06/12/12)



シュタイナーの社会思想(2)
前回参考書として上げた3冊(および『あたまを育てる からだを育てる』)を読まれると、そこに登場してくる「階級」とか「プロレタリアート」という言葉に違和感をお感じになる方がたくさんおられると思います。そうなのです。その違和感というのは、シュタイナーが実際にこのような本を出した当時の----彼は1925年に亡くなりました----ヨーロッパ社会に生きる労働者の労働環境や生活環境、あるいは人権環境を含めた法的な立場と、現代の先進国社会の労働者のおかれている環境とはずいぶん様変わりしているということに気づくようにという促しなのです。先進諸国から単純労働がまったく消えてしまったというわけではありませんが、いまや先進諸国においては、かつてプロレタリアートと呼ばれた人々が担っていたような単純労働の多くを産業ロボットが代行するようになっています。かつては日本中のどんな街にもあったみすぼらしいドヤ街も消えてしまいました。ですから、この21世紀において、自分のことを「プロレタリアート」という言葉で自己規定したがる人というのは、今では特殊な政治思想集団に属しているか、あるいはそのような集団が担っているマルクス・エンゲルス思想にそっていまだに世界を眺めている人々くらいのものになってしまいました。

ですから、これらの本を細部に渡って研究するにしても、人間を取り巻いている環境というものは時代とともに変容・進展しているということも考慮に入れて、「では現代の社会問題の様相をどのようにとらえたらよいのか」と改めて考え直す必要があると思うのです。そしてそういった作業とともに、シュタイナーが「前進すべき道」として描いていた社会有機体の姿を、現在の地点から改めて表現し直すと、「どう表現できるのか」と考え直す必要があると思うのです。これが補足として今回付け加えておきたかったことです。(06/10/17)



シュタイナーの社会思想(1)


平成操練所の付属ブログ操練会議では、シュタイナー思想に直接言及することはまれだとは思いますが、歴史問題や政治問題を扱っている時も、その根底にはシュタイナーの社会思想があります。シュタイナーをいわゆる左翼側の思想から援護するシュタイナー研究者も日本にはたくさんいるようですが、そういう人はシュタイナーが『社会の未来』や『現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心』あるいは『経済学講座』において、どれほど精力的にマルクス・エンゲルスを取り上げて、この「近代思想」あるいは「霊界を見失い、その関心が地上の富の分配問題にのみ収斂していく近代人的情念」を批判してきたかを知らないのではないかと思われます。(当サイトの関連記事では『あたまを育てる からだを育てる』からも一部抜粋を読むことができます。)

シュタイナーはある著書のなかで、「人類が魂の奥底で求めているものは、精神生活の自由、法のもとにおける平等、経済における友愛だ」と語っております。シュタイナーが「真の社会主義」というとき、それはマルクス・エンゲルス発の社会主義とはまるで違うということが理解できないまま、「社会主義」という言葉を誤解してシュタイナーを引用する研究者もいるようです。

どうぞ皆様、社会問題に強い関心をお持ちの皆様は、先程取り上げた3冊の本に取り組んでみてください。かみ砕くのにカンパンのように堅く、読み解くのにとても忍耐を要する本です。ですが、そうする価値のある本です。

世のいわゆる社会主義者系の人々がシュタイナーについてどれほど誤解に満ちた援用と紹介をしているのか、自分自身の力で確認してみてください。(06/10/13)



平成操練所リニューアル
薔薇十字サイトのトップページにリンクを張っている平成操練所サイトのデザインを一新しました。平成操練所内にはルドルフ・シュタイナーやエドガー・ケイシーのページもあり、いろいろとコンテンツが混み合っていたのですが、今回それぞれのサイトの趣旨に沿って、内容を分け、簡素化することにしました。

そういうわけで、いままで平成操練所内に掲げていたシュタイナー関連の記事や画像は、後日薔薇十字サイトの方へ移動させる予定です。(06/10/11)



秘儀の書としての記紀
日本語訳において、境閾の守護霊、境域の守護霊、境域の監視者などと訳されている単語は、もちろん同じ存在を指し示す言葉ですが、たとえば、「歴史を生きる」のページに出てくる「境域の守護霊」の箇所を読むと、私はどうしても日本神話に登場してくる「イザナギノミコトの黄泉下り」の箇所を思い出さずにはいられません。

歴史を生きる-境域の守護霊

睡眠中、肉体とエーテル体から離れた魂たちは、しばしば境域の守護霊のところへ至ります。霊界と現界との境域を守護するこの霊は、人類進化の過程で、いろいろな仕方で人間の意識の前に立ち現れました。その最も重要なメッセージは、歴史的事実としてではなく、伝説、伝承として伝えられてきました。ですから伝説、伝承は、昔、あれこれの人物が境域の守護霊とどのような出会い方をしたのか、どのように境域の守護霊から伝授を受けたのか、どのように霊界へ参入し、そこからふたたび物質界へ戻ったのかを示唆しています。

事実、正しい霊界参入は、物質界に戻ったあとの参入者が実際的で思慮に富んだ人物となって、両足でしっかり大地に立つことを可能にしてくれました。参入者を夢想家、夢想的な神秘家にしたのではないのです。


「イザナギノミコトの黄泉下り」の話は、近代の日本の神話学者たちによって、いろいろと近代人の知的嗜好に合致するような解釈がなされておりますが、これを「古代日本人の秘儀参入体験」、もっと言えば「境域の守護霊との遭遇体験」として解説している神話学者はおりません。しかし、まさにこの箇所は「秘儀体験の神話的表現」ではないでしょうか。

日本神話を「秘儀の書」として読むとどのように読めるのか、皆さんも一度そのような視点で、日本の神話を読み直してみるとよいかと思います。(06/06/22)



アクセスカウンター
6/13にアクセスカウンターを設置しました。昔一度設置したことがあったんですが、平成操練所休止と連動して更新完全休止状態になり、あわせてアクセスカウンターも取り外しておりました。今回まとめて記事を更新しましたので、それに合わせてアクセスカウンターも再設置いたしました。

トップページと秘教学徒の絵は同じデザインになっておりますが、これは暗黒工房で公開されているフリー素材を、自分なりに加工してレイアウトして使用させてもらっております。それがリンク欄に暗黒工房さんがある理由です。使用させていただいているのは、剣持ちし鴉人図、大聖堂図、境閾の小守護霊を演じてもらっている人物像の3点です。

剣を持った鴉人については「悪魔」としてではなく、シュタイナーが『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』の「生と死----境閾の大守護霊」の章で、

私は「天国の門前に立って、火の剣を手に持つケルビームとして」高次の諸領域の門前に立つ

と表現したイメージの「転用」として掲げております。

以下は暗黒工房においてあったオリジナル画像で作成したトップページの反転バージョン。これはこれでなかなか面白い絵になりますね。(06/06/17)

              



隠し画像追加
トップページの大聖堂の入り口をクリックすると、これまでも隠し画像を見ることができましたが、今回さらにもう一枚ページを付け加えました。あの2重化した画像の上をさらにクリックすると、もうひとつ新たな画像を見ることができます。どうぞクリックして楽しんでみてください。まだ見たことのない人はまずトップページの大聖堂入り口から入ってみてください。面白い体験ができると思います。

なおこの秘教学徒ページは私個人の随想ページとして運営していくつもりなので、あえてコメント等ございましたら、メールを使ってお寄せくださいませ。最近メールには個人名で「こんにちは」とか「はじめまして」などという題名で迷惑メールを業者が送ってくるので、そういう系統のメールは即削除しております。「秘教学徒の○○について」 とか、「○月○日の記事について」とか工夫された判別しやすい題名を選んでいただけるとありがたいです。(06/05/07)



coming some day